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癒しを届けたい、が裏目に出るとき

ヨガを必要としている人に届けたい、と思い立つとき、私たちはヨガのよさを知ってほしい、と思いそれを伝える努力をします。
しかしその気持ちは時として、ヨガさえ届ければ、ヨガがその人たちを癒してくれる、という勘違いにつながりかねない、と感じることがあります。また、届けられる方にも「ヨガが私たちを楽にしてくれるんでしょ」という期待を持たせてしまうかもしれません。そうなると「ヨガ、ぜんぜん効かないんですけど」という失望感を寄せられてしまいます。

癒しが届けられることはありません。
癒しのきっかけが届けられ、自分の中から自分を癒す力が癒しとなるだけです。
それは気づきかもしれませんし、呼吸の変化かもしれませんし、ものの見方が変わることかもしれません。

ヨガが癒す、と思うのであれば、それは癒しではなく、まだ「慰め」の段階です。
ヨガ自体は優しさいっぱいですから、慰めにはなるかもしれません。でも、やっぱりヨガや他人に癒してもらおう、なんとかしてもらおうと思ってもらっているうちは、癒されることはないのです。

医療や介護の現場にヨガを届けようとするとき、難しいと感じるのは、目の前の業務でいっぱいいっぱいのスタッフさんたちにとって、やはりヨガは「なにかをもたらしてくれるもの」という期待があることです。私たちはそれに応えたいと思う、だけど、私たちが伝えたヨガで、お医者さんのように何かを治したり、改善したりすることは、できたとしてもそれは副次的なことです。腕が上がるようになった、呼吸が楽になった、よく眠れるようになった、など。

本当は、ヨガがきっかけになって、自分を大切にする瞬間、時間がその方の人生の中に増えたなら、それはヨガが、あるいはその方が自分を癒したことになるのでしょう。癒すってこういうことなんだ、ということに気づいてもらえるのではないでしょうか。

それが、やはり私たちが「ヨガはいいですよ、身体も気持ちも楽になりますよ」というメッセージだけ伝えようとしても、それは逆にヨガに過度な期待をする原因をつくってしまうのかな、と思うことがあります。それでも、ヨガを知ってほしいから私たちは伝える努力をしていくわけですが・・・

誤解を怖れずに(怖れますが)言えば、本当にヨガを必要としている人というのは、あまりにたいへんで、誰かに癒してほしい、と思っている人ではないかな、と思います。でも、本当の意味で、自分を救ってくれる人、自分をわかってくれる人というのは最終的には自分しか居ないわけですが、それでも私たちは辛いとき、外に助けを求め、期待したくなってしまう、その期待が裏切られると強く失望したりするわけです。自分しか居ない、ということを認めるのは、ある意味とても恐ろしく、避けたいことです。責任の所在は自分ではなく、誰かが担ってほしいわけです。だけど、ヨガとはつきつめていけば、恐ろしい(ありのままの)自分を見つめることです。恐ろしい自分だけれども、自分が自分とまず仲良くならなくては始まらないわけです。忙しいのは、物事がうまくいかないのは、ストレスがたまるのは、外的環境によることが確かに大きいでしょう。だけど、外的環境や他人のせいばかりにしていては、いつまでたってもストレスは外部からやってくるわけです。自分自身が内側からものの見方をかえ、穏やかになることなしに、誰かが穏やかな気持ちを届けてくれることはありません。いや、あるかもしれません、ただ、寄り添ってくれる人の存在です。「辛いと思うけど、そばにいるからね」あるいはそういう言葉なしにかもしれませんが、笑顔でそばにいてくれる人は、もしかして私たちの気持ちを穏やかにしてくれるかもしれません。寄り添う、BE、いること、ヨガのポーズを意味する「アーサナ」の語源です。
私は一人じゃない、まわりは敵ばかりじゃない、そう思えることが、どれだけ私たちを勇気づけてくれることでしょう。
それは冒頭に書いた「慰め」かもしれませんが、そうであれば私たちは現代社会を生きていく上で確かに「慰め」は必要としています。

ヨガというツールで癒しを届けよう、ということは裏目に出てしまうかもしれません。
でも、ヨガというツールで、そばにいてあげることはできるかもしれません。むしろその方が、相手の方が癒しの本質をわかってくださるかもしれません。例えば、シニアヨガの生徒さんはよくこういってくださります。
「毎週あなたが来ると思うだけで、楽しみなんだよ」

癒してほしい人が求めているもの、そこに「解決方法」「期待感」を届けるのではなく、ただ「やあ、あなたに会いにきたよ!今日も顔を見れて嬉しいよ!」という私たちの笑顔を届けたいものです。


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