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耐えられるように飼いならされてきた:本当は誰の許可がいるのか

ポーズを変えることひとつとっても、私たちは「許可がいる」と思ってしまう習性があるようです。だからこそ「自分の声を聴く」大切さを、ヨガを教える側は力説していかなくてはなりません。本人が気持ちいいと思ったとき、たとえヨガの練習が制約を受けたって構わないのですよ。だって練習は、教える人のためにあるのではなく、参加する人のためにあるのですから。

ピアノのお稽古は逆ではありませんでしたか?先生は「どうして練習してこないの」と怒りませんでしたか?先生に認めてもらうには、ちゃんと練習してこなくてはならなかったわけです。

鬱や不安を抱えているとき、私たちは体の不快や心の不快に耐える力があると思い込んでしまっています。だから自分が「助けて」などというなんて、もってのほかであり、自分の人生を自分でコントロールしていけるという傲慢な考えを抱いています。そのために「耐える」ということを、練習だと思っている。必要なときに耐えたり頑張ったりするのはいいのですが、そうでないときまでそのパターンを引きずることを美徳だと思っているから、自分が壊れるまで自分を助けてあげられないのです。自分で自分を助けないとどうなるか。誰も助けてくれなくなります。私もそうでした。。

心は無視して、まず体がなんて言っているかに耳を傾けましょう。心が悪さをするのではなく、体が今の体のあり方に対し、有機的な反応を起こしているからこそいろいろな不調が表面化するのです。体の不調はそのまま心にフィードバックされます。

自分で自分の心や体が悲鳴を上げていることを認めてあげましょう。


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