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「いる」って素晴らしいんだよ。「いるヨガ」

私は息子に何もできないので、とにかく母が私に歌ってくれた歌を、幼稚園の送り迎えにうたっています。その「ぞうさん」や「一年生になったら」の根底に流れていたのが「いる」って素晴らしいんだよ、ということだった、そして、これらの歌の作者であるまどさんも一度「西洋への傾倒」から「東洋哲学ーいることへの感謝」に回帰されたことを知って、いまさらながらですが大好きだった「ぞうさん」の歌をうたったらあらためてその歌の味わい深さがわかってきました。

そうよ、お鼻が長いのよ、そうね、お鼻が長いのよ、これ以上の優しく単純なバリデーション(シニアヨガの講座にでた方はご存知かな)はありません。

ヨガ、最初は違和感がありました。何でヨガの先生たちはあんなに知ったかぶってマントラをうたうんだろう、とか、こんなにすごいポーズをする意味が人生のどこにあるのだろうと思いました。ヨガを学ぶにつれ、その意味はわかってきましたが、わかるけどできない人の気持ちや、わかるけど違和感を感じる人の気持ちもわかるようになってきました。

ぞうさんは子供のころから大好きな歌でしたが、そこまで深く考えてうたっていたわけではありませんでした。でも、私も今ヨガを日本で教えているベースは同じようなところにあると思います。
たいしたことはできないけど「いるよ」

アメリカ人に混じってヨガを学ぶのは正直苦痛でしたが、自分に暗示をかけて頑張ったのを覚えています。

ヨガの二元論を学ぶうちに高まってきた想いは、自分はアメリカで学ぶ機会を得るが、日本人がヨガに親しいことをちゃんと証明できるようになろう。西洋人は、ヨガのことを学びながら言葉は一生懸命唱えるが、耳を傾けはしない。大学院でフランスに留学したときも同じような印象を受けた。プレゼンテーションで自分の意見を主張するのは得意だけど、人の発表は聴いていない。

西洋の文化に接するといつも「何をしたか」を考えさせられる。何をしたかで評価される。
東洋の優しさは、何をしたか、を離れ、そこに価値を置かないところではないかと思う。

ヨガがバランスなら、話し伝えるのが下手な日本人はもう少し伝えることを学ぶべきだし、話すぎる西洋人は聴くことを覚えたらいいのではないかと思います。

何をしたか、に疲れたら、あなたがいることを認めてくれるところに帰っておいで。
「する」ことは、流れていってしまう。変わっていってしまう。
でも生きてさえいれば、今ここにいることが、あなたが確かに生きていた証。

どんな立派に育った子にも、もしかしたら「産後クライシス」はやってくるかもしれない。人がうらやむような夫婦も離婚をしているし、理想的な親子も介護で行き詰まる。

赤ちゃんは生まれてくると「いる」だけで感謝される。「いる」だけでみんなを笑顔にする。なのにどうしてこうも人というものは、成長するに連れ、期待して恩を着せ、不満を募らせ、さみしさを隠そうとするのでしょうか。その解決にヨガが役に立ってきたと思わざるを得ません。「いる」への回帰という気づき。

西洋に一度傾倒してみることで、東洋人としてのその違和感を感じ、西洋文明に敬意を抱きながらも、我がアイデンティティである東洋を見つめ直す。なんという贅沢(恵み)ではないかと思うのです。

西洋人のヨギーたちはどんなに修行してもこの境地は実感できませんぞ!


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