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藤田俊哉さん(プロサッカー選手)とのヨガ体験講座

プロサッカー選手の藤田俊哉さんをお招きして、ヨガの体験クラスを開催しました。ヨガはまったく初めて、という藤田さんのファンの方から、はまっているものはヨガとサッカー、という男性まで、いろいろなバックグラウンドの方がご参加くださいました。

どんなポーズをやったかについては説明が長くなってしまいますので割愛しますが、クラスでお話ししたことの一部をご紹介させていただきます。ヨガの敷居が高いと思っている方が、私もやってみようかな、と思ってもらえると嬉しいです。

自己紹介では、自分が大好きなものと、とっても苦手なものをひとつあげていただきました。

実はその前に、みなさんに「首の前」をほぐしてもらいました。どうしてかというと、私を含め、みなさん、緊張されていたからです。緊張して言葉が出てこないと、首の前が硬くなり、首の前が硬くなると、言葉が出てきません。ヨガでは、のどのところにコミュニケーションを司るチャクラがあるといわれています。そこの風通しをよくしてから、自己紹介をしていただいたわけです。

藤田選手にとってもヨガは初めてだったので、まず「ヨガって何?」というところからお話しさせていただきました。

インド哲学にまで話が及んでしまうとますます身構えてしまいそうですが、ヨガのもともとの語源は「結ぶ」とか「つなぐ」という意味で、何と何をつなぐかというと、今みなさんに教えていただいた「大好きなもの」と「苦手なもの」をもっていること、つまり正反対のものを仲良しにするんですよ。というお話をしました。インド哲学の背景にあるのは「二元論」です。生と死、月と太陽、男の人と女の人。男の人と女の人の例で説明するとわかりやすいと思いますが、男の人と女の人が協力して仲良くしている社会は明るいですよね。
どっちが偉いではなく、お互いを尊重して仲良くする。それがヨガです。
好きなものも嫌いなものもあって人間。どちらの自分も愛おしい自分です。昼間ばっかりの生活だったら気が遠くなりますね。昼に働いたら夜はしっかり休む。何ごともバランスが大切です、というのがヨガの教えです。
世の中に完全な人はいません。不完全な中、うまくバランスをとっていきましょう、ということです。呼吸もバランスですね。吸ったら吐きます。波もそうですね。よせたら、返します。

また、スポーツとヨガの関係では「烈」(いさみ)と「癒」(いやし)のお話をしました。ヨガはアーユルヴェーダというインド医学体系のなかのひとつです。では、インドの医学体系はどこからおこったかというと、古代武術のための予防と回復のためだったのです。当時から、癒しを伴わない烈は不完全だと考えられていました。これは、現代を生きる私たちにとってもとても重要な意味を持つと思います。当然のことです。準備運動も、疲労回復もなしに闘いに送り出されたら、まいってしまいます。いい戦をするためには、心とからだの準備をし、本番で力を発揮できる精神状態にもっていき、闘いが終わったら次の闘いに向け、しっかりリフレッシュする。それができる選手は強く闘い続けられるのでしょう。

古来インドでは、ヨガは苦しみ(当時は輪廻を怖れていました)からの解脱を目的に行われていたといいます。私たちが今生きている世の中は、当時のインドとは異なります。ましてや私たちは日本人です。これは私の考えですが、私たちは古代のインドの叡智に敬意を払いながらも、私たち日本人のためのヨガに取り組んでいけばいいのだと思っています。
私たち現代人を苦しめているのは(ストレスを与えているのは)何でしょうか。いろいろあると思いますが、少なくともこの二つは犯人だと思うのです。

(1) 時間
(2) 接続、監視

私たちは生活の大部分において、時間の概念があるが故にたくさんのストレスを感じているように思います。未来のことを心配したり、時間がない、時間がない、といいながら、スケジュール帳を埋めていき、早くしなさい、と子供を怒鳴り・・
ヨガ教室が気持ちがいいのは、時間の概念をしばし忘れるほどリラックスできるからです。

また、みなさんが本当の意味で、誰の目も気にせずいられるのは、いつですか?トイレの中?一人でお風呂に入っているとき?それ以外は・・・いつも携帯にはアップデートがあり、Facebookで誰かが何をしているか、という情報が無差別に飛び込んできます。つながれているうちに、つながれていないと不安になってきていませんか?インターネットのモデムを日曜日だけ切る勇気がありますか。携帯の電波がたっていないと不安になっていませんか。
絆、絆、と言い過ぎているから、皮肉なことに絆は個が確立した上での絆だということを忘れてしまいがちです。不安定な個どうしの絆は相互依存にかわります。(実際は、美しい相互依存こそが社会なのですが)ヨガでは、自分は本質的には一人なんだ、ということをかみしめざるをえません。でも、そういう時間をとりもどすことで、あらためて本当の意味での絆に感謝できるようになります。自分のエゴを、正当化できるようになります。他人にもエゴがあることがわかります。ヨガ教室は、つながれっぱなしの自分を、いったんひとりぼっちにしてみる場所です。自分の内面をみつめる、とよく言いますが、そんな大げさなことではなく、他のことを忘れ、自分のカラダと呼吸のことだけ考えましょう、という時間をわざわざつくるのです。わざわざつくらないと、自分と向き合えない忙しい時代を私たちは生きているのです。言葉通り「忙殺」されています。だから、忙しさに殺されないためにも、殺されそうになっている人にこそ、ヨガ教室にきてほしいのです。あるいは、ご自宅でヨガをする時間をつくってみてほしいのです。

さて、ヨガで体を緩めたあと、藤田選手とどんな話をしたかというと、これがとても楽しかったのです。

藤田選手への質問で「サッカーを始めた子供たちを見守るお母さんへのアドバイスは?」というものがありました。
藤田選手は、「自分が生まれたころと今は環境が違うけど、今の子供たちはいろいろ言われすぎて、期待もされすぎて大変だよね。ぼくは自分の息子にはいつも「楽しかったか」と聞くんです。息子が「楽しかった」と答えたら、ああよかったな、と思う。だけど、他の親御さんたちを見ていると、結構いろいろ言うよね。あそこでなんでシュートできなかったんだ、とか、ここはこうだ、とか。素人にいろいろ言われるほど、つらいことはないよね。グラウンドにたっている本人じゃないとわからないことってたくさんあるんだし。もっと、見守ってあげればいいのに、と思いますよ。」とのことでした。私は、藤田選手のこのお話にも、ヨガのエッセンスがたくさんあると思うのです。

ヨガの先生の仕事は、スペースクリエイターだと思っています。何か正しいことを教え込むのではなく、生徒さんが、自分の中に空間を作ってあげるお手伝いをすること。詰め込むのではなく、隙間をつくってあげる。スポーツの指導も、きっと同じなんだな、と思いました。詰め込みすぎてしまったら、好きなものも好きでなくなってしまうかもしれない。詰め込みすぎてしまったら、楽しむ余裕がなくなってしまうかもしれない。子供たちが、サッカーを好きでいられるように、親は一歩引いてそっと見守ってあげる。モノも情報もあふれる現代、ついつい私たちはいろんなことをてんこ盛りにしてしまう傾向があるようです。そんな中、ほどほどでいいんだよ、といえる藤田選手に、真の強さを見たような気がしました。

別な方からは「選手時代、どのチームにいて、誰とプレーしたときが一番印象的でしたか?」という質問がありました。藤田選手は、他の選手って結構覚えていたりするからすごいなーと思うんだけど、俺は正直全然覚えていないんだよね!だけど、そこにいたときはそこが一番楽しかったことだけは覚えている。

ヨガの教えはまさに「過去や未来にこだわらず、今を楽しむ」です。藤田選手はまさに、今を楽しむ才能をもっていたから、長い現役生活を輝かせることができたのだと思います。

「引退にあたって、心境の変化はありますか」という質問には、もっとさみしくなるかなーと思ったけど、引退したらしたで、また違う楽しみが見えてきたから、それほどストレスでもないね。とのことでした。ヨガでは人間には変化による苦しみがあるといわれています。変化に対して柔軟に対応していけるじぶんをつくるために、体の柔軟性を高めているようなものです。藤田選手は、もちろん体も柔らかいですが、お会いしてお話をしながら、なんと生き方が柔軟な方なんだろう!と思いました。そして、事前にお聞きしていた評判である「現役時代、大きな怪我もなく、ずっとチームの中心として活躍してきた」の秘密が、解き明かされたような気がしました。
柔軟な人は、やっぱり怪我をしにくいのです!バランスがいい人は、怪我をしにくいのです。それは体だけの問題ではなく、やっぱり心の部分も大きいのです。骨と筋肉だけでサッカーをしているわけではありませんから。

ヨガでも、体の柔軟性を競う必要はまったくありません。柔らかければ偉いのなら、イカやタコの方がよっぽど偉い。日常生活が快適に送れるぐらいの柔軟性があれば十分です。むしろ、ヨガを通じて心の持ち方が柔軟になるかの方が大切だと思います。心の持ち方の柔軟さ、それは別の言葉を借りれば「寛容さ」ということになるのだと思います。

藤田選手と参加されたみなさんとで、今日のこのヨガクラスは、サッカーの集まりなのか、お水(ブルージュール)のプロモーションなのか、ヨガのクラスなのか、まったく混沌としていますね、といって笑いましたが、その混沌さを楽しめる余裕こそが、ヨガの贈り物なのではないかと思いました。全然異なる人たちが集まって、なんだか一緒に楽しい時間を過ごした。小さいけれど、とても素敵な社会の縮図がここにありました。

ヨガの先生だけでは、なかなかこういうクラスを企画できません。どうしても、ヨガの先生はヨガを教えるものだ、という先入観があるからです。でも、今回、ロータスエイトヨガスタジオさんと、ブルージュールジャパンさんが企画してくださったおかげで、私にとってもサッカー愛を通じてヨガをみる貴重な機会をいただきました。帰宅して主人に今日のクラスが楽しかったという話をしたら、これからの時代はヨガの先生が、もっと社会にそういう場をつくっていけるといいね、といわれました。ヨガとは全然無縁だった人も、何かのきっかけでヨガを楽しむ機会に出会えるような、そんなイベントが増えていくといいな、と思います。ヨガスタジオの門を叩くだけが入り口ではないということですね。

藤田俊哉選手

さあ、私もトライアスロン X ヨガを実証すべく、頑張ろうと思いました。正反対にみえるこの二つは、本当はとても相性がいいんです!

忙しいスケジュールの中、ファンのみなさんと初めてのヨガを楽しんでくださった藤田俊哉選手にあらためて感謝いたしますとともに、一緒に楽しい時間を過ごしてくださった参加者の方々にも、この場を借りてお礼申し上げます。


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