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男心、そしてサバジャ

息子が雨の日玄関の前でつるりんと転んだ。
転ぶ直前、主人が「滑るから気を付けて」と言った。
言い終わるかというときに転んだ息子「お母さんが僕の傘をふんだから」と人のせいにした。
大人げない母親の私は4歳の息子に向かって「お母さんはふんでいません。自分で転んだのを人のせいにするなんて、恥を知りなさい」と叱りつけ、家に入っても口もきいてあげません。

「お母さん、ごめんなさい」とちゃんと謝る息子ですが、お母さんのへそは戻りません。
「もう人のせいにしません。ごめんなさい。」と謝る息子に、主人は「そうだね。人のせいにするのはいけないね。でも、航一は転んじゃって恥ずかしかったのかな?」と。こくりとうなずく息子。

よく、女性は「男の人は女心をわかっていない!」というけれど、女性にもわかり得ない男心があるのだということを、あらためて知った出来事でした。よく、主人が言い訳や人のせいにするときに「堂々とせい!」と啖呵を切ってしまう私ですが、その心情の裏に「恥ずかしかった」「認めたくなかった」などという男性ながらのプライドがひそんでいることを、無視するどころかそもそも私は気づいていないのです。

ヨガの教えで「素直な心を以て、真実を見る目を」といいますが、真実を見抜くなんてそんなことは口で言うほど簡単ではない、簡単ではないから教えになるのでしょうが。
私たちは、見たくないものは見よう、気づこうとしないし、隠したいものは無意識に隠してしまう(この場合で言えば、人のせいにしてしまう)のです。

仏教の教えでも「生死一如」生死を一体として生きること、というものがある。生死は本来地続きであり、輪廻の思想では死んだあともまた命を受ける。現代社会は生と死を分けて考えるようになっており、生きているもののみに価値をおいて、死から目を背ける。生死だけでない、損か得か、益か害かで物事は評価され、都合の悪いものは排除される。結果、自然や人を丸ごと認める力が失われ、自分個人の利益が最優先される。
でも、私自身、死や見たくないものを直視する勇気はまだ持てていません。全体を認める力なんて全くないでしょう。家族や愛する人たちの利益が最優先で、都合のいいものから拾っていきます。困ったことに、人間なんてそんなもんだ、と開き直っているところもあるかもしれません。

私の敬愛する伊藤先生がこんなコラムを書かれています。
「サハジャ」あるがままに、これでいいのだ、という意味のサンスクリット語。
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-83.html
詳しくはコラムをお読みいただければと思いますが、
(下記コラムより引用)
ハタが理想とするのは、聖と俗が、霊と肉が、どちらが善でも悪でもなく、両立する境地(samarasa)。肉体をケガレと蔑視することのないシッダたちの間から生まれた、——サハジャ(あるがままで好し)を確認するためのヨーガなのです。

1960年代のヒッピー・ムーブメントの合い言葉であった「ラブ&ピース」同様に、インドの先駆者たちもスカ(sukha;快楽)&シャーンティ(śānti;平安)つまり、伝統的なヨガでは相反する概念であるスカ:セックスに象徴される「肉体的快楽」、シャーンティには「解脱」の含みの両立を唱えたのでした。ヒッピーたちにとって、ハタヨーガは「人は、生まれもったその身のまま(サハジャ)で尊いのだ!」という絶好のメッセージであったとも言えます。

長くなりましたが、なかなか真実を見る目を培えない私も、ただひとつ信じられることは、毎日家族と暮らし、目くじらを立てたり、男心を気づかなかったりしても、それでも今が、家族の命があるだけで、まあいいや、と思えるのはハタヨガの思想なのかな、と思います。

そんなころ、息子がいきなり英語への学習意欲を持ち出しました。
「お母さん、まあいいね、って英語でなんて言うの?」と。
人は、必要な思想や言葉を自分のものにしていくのでしょう。
いつも「きちんとしてなさい」という母親に対し「まあ、いいね」「まあ、いいよね」を連発する息子に対し「まったくよくはありません!」とぴしゃりと叱られる息子は、それでも「まあ、いいね」という語彙を自分を守るために必要としているのでしょう。日本語で言うなら「よくありません!」という私も、英語で言ってくれるんなら、許容してあげようかと考えてみましたが、これが意外と難しい。
ネット辞書に頼り調べてみたところ

「It doesn’t matter」
「Don’t mind」
「Oh well 」などがでてきました。
今はやりの「Let it go」に似ている「Let it be」もありました。

息子がこれらの言葉を使いこなせるようになったら褒めてあげたいと思いますし、それはすなわちハタヨガの教えである「サバジャ」を唱えているようなものです。恐るべし4歳児の悟り。


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