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Separation causes sufferings : 責任の所在が外部にあるプロジェクトは破綻する

私の先生はよく言いました。
Separation causes Sufferings.

絆がなくなると苦しみが生まれる。
例えば、子供を叱るとき、子供の気持ちがわかれば叱り方も変わる。心が離れているとき、私たちはさみしさから怒りをぶつけることもある。心がつながると「ごめんね」という言葉がでてくる。

逆に、相手の痛みが自分の痛みのように思えるときは、それはエゴかもしれないけど、私たちは相手を自分を守るように守るようになる。

プロジェクトを立ち上げたとき、責任の所在が外にある、例えば「@@さん、責任を持ってこれをやってください。」というところがあると、それができなかったとき「どうしてできていないんですか」ということになる。
「シフト表を完璧につくって提出し、先生方の出欠をちゃんと把握してください。」「シフト表通りに人が来ないんですが、どういうことですか。連絡、把握、ちゃんとしているんですか。」プロジェクトである以上、マネジメントには責任をもたなくてはならない、しかし、自分の目が及ばないところで起きたことにも責任は問われる。それは、マネジメントする側とされる側に距離があるのも一因だろう。報酬をちゃんと支払われているロイヤリティのある人材をマネジメントするのと、それぞれ日々の都合を割いてきてくれるボランティアの方々をとりまとめるのではやはり異なるし、だからといってボランティアのマネジメントはいいかげんでいいというわけではない。しかし、なかなか全員が一同に会し気持ちを共にするのが難しいのと、フェイス to フェイスではなくオンラインでの連絡にどうしても頼ってしまう。

責任の所在が内在化しているということはどういうことか。それは具体的には、責任者が組織の内部にちゃんとおり(たとえそれが外部の人間であっても、足しげく現場に足を運び、現場の方々の信頼を得、その人がちゃんとプロジェクト内部に居場所がある状態だ。その場合、責任は問いただすものではなく、補完し合うものになる。たとえミスがあっても、フォローしてくれる力が働き、なぜそのミスが起こったのかもちゃんと見える。責任の所在が外部にある場合は「あいつはなにをやっているんだ」となる。

病院や介護施設など、ヨガに対しまだ懐疑的かもしれないところに、ヨガのよさを教えにいくことより大切なことは、ヨガを導入しようとしてくれようとしてくれる現場の人たちとしっかりとした信頼関係を築くことから始まります。そもそも、現場の人たちはヨガに対し距離を持ったところからのスタートです。その距離を埋めていく努力が、私たちメディカルヨガのヨガの実践なのかもしれません。


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