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子どもたちへのギフトとしての修身:カラリパヤットゥ

インドのケーララ州はアーユルヴェーダ発祥の地とも言われています。今でも多くのアーユルヴェーダの学校や施設があります。

昔は、ケーララ州のすべてのマハーラジャ(王宮)、寺院、どんな村でも1つ以上のカラリ(カラリ道場)をかかえていたそうです。カラリは単に武術の道場であるのみならず、人々を病から救う施術院であったからです。

私が、メディカルヨガを学ぶにつれて「カラリパヤットゥ」への興味を深めていったのには理由があります。
今日知られているアーユルヴェーダは主に内科疾患を中心としたものです。
しかし、かつてのカラリの医師、医師にして武術師範は、マルマの知識をもとにあらゆる外科疾患、そして深刻な精神病に応じることができたそうです。

単に健やかに生きるためのアーユルヴェーダではなく、人はどういうときに病まふのか、それは「スシュルタ本集」に記された「マルマの知識」に基づくものです。

カラリパヤットゥには「全身を眼にする」という言い回しがあります。ヨガでいうところの「身体の声に耳を傾けて」どころではありません。
医術の修行は武術の稽古により、身体の構造と働きをおのれの身体を通して把握することから出発したのです。体の中を巡る様々な「氣」の流れを感知し、その氣が生み出す「力(シャクティ)」の働きを発券する。武術の知識なくして、医師になることはできなかったのです。

体術、武器操法、挙法の修行を一つ一つ治めて行く過程で、迷路のようなマルマン(急所)のつながりを理解し、そのマルマンへの刺激が人体にどのような影響をもたらすかを経験的に身につける。そのうえで、マルマンの操作によって人間の体を病から救うという修練を重ねていく。

しかし、マルマ療法自体は武術医の秘密主義と、治療術を修得することの困難さから、現代誰もが容易に身につけられるものではなくなっています。

しかし、幸運なことに、現在私たちが習得できるハタ・ヨーガのポーズも広い意味でのマルマ療法と考えられています。(詳しくは講談社「秘伝マルマ ツボ刺激ヨーガ」をご参照ください。)
オイルを使ったアーユルヴェーダのマッサージにもマルマの智慧が取り入れられています。

マルマンが断末魔(力を失う)と、プラーナ(氣)の流通に変調を来たし、結果としてドーシャバランスが崩れるため、病気になると考えられています。もっと具体的にいえば「生命風」の通り道が遮断され、供給が妨げられるからです。ですから、ポーズやマッサージ、呼吸法などを用いて、マルマンの機能不全を戻し、停滞していた氣(プラーナ)を再び循環させてあげる。治療をするというよりは、本来の姿に戻してあげる、これがアーユルヴェーダやヨガを用いた医療の根幹をなす考え方です。だから、チャクラは「開く」ものではなく「廻す」ものなのです。流れている状態にする。

昨今の異常気象の原因となっているのは、偏西風の固定化による暖気と寒気の流動性のなさが原因と言われています。流れなくなると、気象はおのずと極端となる。これが私たち人間の手に負えない「災害」となっているわけです。地球のあり方と私たちの体のあり方も類似しています。流れが悪くなると極端になり、不調として現れる。

話を戻しますが、ダヌルヴェーダ(インド武術の根本教典)は密教と深い絆で結ばれています。仏教の発展とともに、これまでの仏教にはいなかった「武器を執って物的を威嚇する明王」の存在があります。忿怒尊の存在はヒンドゥー教の影響の一言で片付けられてしまっていますが、実際には仏教の僧院で武術が必要とされていたという史実があるわけです。彼らは武術の修行に依って得られる強大なシャクティ(力)を菩提真に転用していたのです。

その武術こそが「いかにして敵のマルマンを断つか」であり「自らのマルマンの調子を整えるか」にあったわけです。それが体系化され伝承されてきたものがカラリパヤットゥという武術なのです。
つまりインド医学に不可欠なマルマンの理解は、武術の稽古により心身の構造と働きをおのれの体を通じて把握することから出発したのです。ヨガのポーズはその応用例であり、もっと深いところの知識を理解するには、武術稽古を省くことはできなかったのです。

ダヌルウェーダは戦場以外での殺生をかたく禁じています。
どんな武術にも共通することですが「心身一如」つまり強い精神集中をどうやってうみだすか。
バラモン(お坊さん)はお寺の境内に”サライ”という学校を建てて子弟を教育しました。子弟たちにとって武術は他の学問と並び、学ぶべき必須科目でありました。それはヴェーダ(科学)であるがゆえに、理路整然として合理的、数学的であり、この原理を敷衍して他の武術に応用していったのです。
ダヌルヴェーダ(武術の科学)と、これと連携したカルマヨーガを学び、精神、目、意志をもってこの道を歩むものは死神(ヤマ)をすら制服するであろう。サンスクリット語では「矢を射る」ことも「解脱する」ことも”モークシャ」の語で表します。
武術はやがて、単なる殺戮の技にあらず、自己の深化、すなわち身体祈願に焦点を当てていきます。

ケーララ州のカラリパヤットゥには大きく北派と南派があります。私がおとずれたトリヴァンドラムは地理的には南派に属しますが、州都のため両方の道場があります。伝承する医学も北派はアーユルヴェーダですが、南派はシッダ医学を名乗っています。私自身はヨガやアーユルヴェーダとの関連でカラリを学びたいため、これからは北派のことを中心に書いていきたいと思います。

カラリパヤットゥの道場の建て方は、古代バラモンの建築論に従っています。インドでは建築も、医学と並んで科学(ヴェーダ)なのです。スタパティヤヴェーダといいます。インド風水のルールが反映されています。

カラリでは必ず南西の方角から建設を始めます。これは一般の家屋でも同じです。南西という方角はインドの風水で非常に重要な意味を持ちます。生理の女性や臨終を迎えるいわば「穢れ部屋」は南西の方角に置かれますが、逆に言えば、穢れを浄化するパワー(シャクティ)にあふれた部屋でもあります。インドでは方角と神格が結びつけられており、北枕が悪い理由は南のヤマ(えんま様)に足を引っ張られてしまうからです。方角神はほとんど男性ですが、紅一点、唯一の女性の神格が南西の守護神のニルリティという女神です。建築をつくるときは、南西にある大地の女神の子宮から、建築自体が出産される、という発想をします。
まず、お坊さんが建設する敷地を女体に見立て「受胎の儀礼」を執り行います。つまり、新しい建物の西南になるところの地面を掘り下げます。この穴が、大地の女神の子宮と同一視されます。そして、この穴に、施主の精を注ぎ込みます。具体的には貴金属や宝石など大切なものを納めた壷を埋めます。
そうして産まれた子供が家だと言う発想なのです。

北派のカラリ道場では、この南西の隅に「プータラ」という祭壇を築きます。祭壇は円盤形の石段を七段に重ね、頂上に卵形の男根石を置きます。その下には壷が埋めてあるわけで、いわばむき出しの子宮そのものがカラリのご神体となっているわけです。その子宮から、万物を育む大地の氣がこんこんと湧いてくる。カラリの練習の最初に大地の神様にあいさつをしますが、南西を向いて行うのはこのためです。半地下の道場内部に、この氣はこんこんとたまっていきます。

カラリでは稽古のときに、体にごま油を塗ります。稽古の間、油とその薬効成分は、汗腺を通り体に浸透して行きます。油の最大の特徴は、体内にしみいることなのです。体は油を吸収して柔軟になり、薬分は油にのって全身に行き渡ります。油を体に塗ってマッサージしてもらう、アーユルヴェーダの「アヴィヤンガ」というトリートメントがありますが、油を体に塗って行うカラリの稽古やハタヨガは、まさにセルフアヴィヤンガなのです。
油を塗ることにより体温が一定に保たれ、筋肉と関節の働きが柔軟になる。油はしみ込みやすくするため、煮沸した白ごま油を用いる。特別な技術はいらず、全身余すところなく油を塗ることだ。稽古のあと、油は汗と混ざって冷涼感を作り出し、アーユルヴェーダでいうところのピッタ(熱)優勢になったドーシャの不均衡を整えてくれます。
アーユルヴェーダでは油を塗って汗ばんだ体は、直接日光や外気にさらしてはならないとされています。体内の微妙な氣の調子が狂ってしまうからです。そういう意味でも、稽古場は修行者を太陽と風から守る半地下の構築物である必要があるのです。半地下の道場「クリ・カラリ」は蒸してはいるが、熱くはない。壁の上の方に開けられた小さな窓から光が洩れてくる。祭壇に灯されたオイルランプの炎もどこか荘厳で神秘的だ。7段の祭壇は花の段を意味し、7母神、アーユルヴェーダの7つの身体構成要素、カラリパヤットゥの7つの階梯を象徴しています。その上に乗っている卵形の石はプルシャや心理を象徴するシヴァ・リンガムです。

カラリの道場に入るときは、右足から入る。
そのとき、右手で床を触り、その手で自分のおでこを触る。
床に触れるのは、大地の女神へのあいさつ。額に触れるのは、己自身の霊性へのあいさつです。
祭壇に導かれお供えをし、それからお辞儀をし先生(グルッカル)の足に触れる。グルッカルは生徒の頭に手を乗せて祝福する。これらの礼拝は、カラリの神々、グルッカル、戒律、訓練に完全に服従することをあらわします。

その後、セルフアヴィヤンガ(体にごま油を塗る)を施し、ストレッチを始める。
ダヌワン・クラマ・プラクリヤー(弓術稽古の前儀式)と呼ばれるこのストレッチは、ブリッジ、股割などハタヨガのポーズに類似している。日頃からヨガをしていない人でも、油がしみ込んでいることで体が柔らかくなっている。そして、いよいよ武術の実習に入るわけだが、カラリパヤットゥの訓練は体術、木製武器術、金属武器術、挙法術、の四部から構成されている。わたしがヨガの延長で、またスポーツのクロストレーニング(フィジカル、メンタル)として興味があるのは主に体術なので、ここではまず体術について述べたい。

体術(メイターリ)は前後左右上下、自在に動く力を養う。反復練習により、体裁きを覚えていく。
まず、脚の稽古だ。前蹴り、内回し蹴り、空中回し蹴り、高跳び蹴り、蹴り座り、振り子蹴り、の六種類がある。

前蹴りはネールカールといいます。
両手を頭上にかざし、片脚を蹴り上げ、脚の親指で手のひらをうつ。これを左右の足で繰り返しながら、道場の東から西へ前進する。ちゃんと打てれば、パン、といい音がする。西の壁の前まで来たら、蹴り足を振り下ろす勢いを利用して、体を180度回転させ、今度は西から東へ前進する。右蹴っては「クラトゥ・ネーレ」左蹴っては「イダトゥ・ネーレ」先生がこれを唱える。

蹴りの稽古は、体の中心軸がぶれないように保つこと。呼吸法の基礎訓練にもなっている。
(1)両手を上に上げ、背骨をまっすぐに伸ばす。
(2)腹筋をゆるめ、横隔膜を下げ、息を吸い入れる。このとき、おへその奥(丹田)が氣(プラーナ)で満たされるのをイメージする。
(3) いったん膝を胸の高さに上げてから、膝を支点に足を蹴り上げ、親指の側で手のひらをうつが、このときに腹筋を締めて息を吐きだしながら、1のリズムで行う。お腹に溜めた息を手のひらでパチンと爆発させるイメージだ。

足の甲を外側に向けるのがカラリの特徴だ。そのまま足を下げれば、踵から脚の外側に重心をかけた立ち方になる。日本武術にいう「なみあし」で、股関節が円滑に動くことで素早い重心移動が可能になる。この蹴りを数往復する頃には、油の効果で体が熱を持ってくる。

内回り蹴り。ヴィトカル。
足を内側から外側に、大きな弧を描くように蹴る。

空中回し蹴り。コンカル。
片脚を敵にとられたとき、その足を軸にして相手の延髄をまわし蹴る動作。片脚をまっすぐ前方に伸ばし、その脚の上を反対の足で蹴る。空中で後ろ向きになり、ランジのポーズでふわりと着地する。

高飛び蹴り。トリクカル。
垂直跳びをしながらネールカール(前蹴り)、その後全身のバネを利かせて着地。「タ」でジャンプし「ターン」で蹴る。

蹴り座り。イルチカール。
ネールカール(前蹴り)から、蹴り上げた足を体の後ろに大きく引き戻し、その踵の上にお尻を乗せて座る。

ふりこ蹴り。パカカカール。
ネールカール(前蹴り)から、蹴り足を振り下ろす勢いを利用して体を180度回転させ、同時に同じ足でネールカール(前蹴り)する。

次に、動物のポーズだ。百獣の王の異名をとるシヴァ神は、野生動物の動きから、攻撃、防御のかたちをとったと言われている。普段使われない筋肉が鍛えられるという点で、ヨガのポーズと共通点も多い。

象のポーズ

象は四肢の膝をやや屈ませることによって巨体を支えている。その上で、長い鼻とつよい前足を連携させて闘う。大きく足を開き、腿が地面と平行になるくらい腰を沈め、上体を前傾させ、両手を顔の前に構える。
(1) 山のポーズ
(2) 両足を肩幅の倍ぐらいに開き、右手を下にして交差
(3) 上体を後ろに大きく反らせながら、大きな万歳。
(4) 上体を前傾させながら腰を落とし、相撲の仕切りのような格好に。
(5) 上腕の内側をあわせ、握りしめた手をもたげて象のポーズ。

(6) 左足で内側に弧を描きながら、大きく一歩前進。
(7) 右足を左足にそえ、横に踏み出し、両足を肩幅に開く。そこから上記(3)-(5)

(8) 右足を内側に弧を描きながら、大きく踏み出す。
(9) その右足を素早く引き戻し、左足を軸に270度反転。そこから上記(3)-(5)

最後に右の手のひらを右肩へ、左の手のひらを前にまっすぐのばす。象が鼻を伸ばしている姿。残心。

このように、カラリパヤットゥには象、馬、蛇、獅子、猪などの動物のポーズがある。これらはヴァディヴと称される。

獅子は首を傾げながら前足をあげて敵を倒す。
馬は躍り上がって、蹄で敵を踏みにじる。
蛇は上下左右に揺らめいて、敵の一瞬の隙をねらって食らいつく。
鷲は上空から急降下し、カミソリのような鉤爪で蹴る。
猪は頭を低く下げ、まっすぐに襲う。

いずれもヨガのように静止したポーズではない。全ての動物は全身を使って闘う。動物は人間の使わぬ筋肉を使う。それゆえ、あらゆる筋肉を鍛え上げることができるのだ。

その後、蹴り(カール)や足さばき(チャヴァヴ)、動物のポーズ(ヴァディヴ)を組み合わせて、アタヴと呼ばれる型を練り上げていく。
ヨガのポーズは、モンドリアンやクレイといった抽象絵画に喩えることができましょう。最初はシャーマン(魔術)のダンスであった。それが抽象化されてエッセンスとなっていく。たとえば、ヴィーラヴァドラとは、武術の創造神シヴァのこと。このポーズはカラリパヤットゥの動物のポーズをダイジェストしてみせたものなのです。ケーララでは、舞踊と、武術と、ハタヨーガの境界線は曖昧なのです。体を祈りのための装置にするのです。ここでいう祈りとは、何者かに捧げる、あるいは何ごとかを願う、ということではなく、命の底から湧いてくる極めて原始的な衝動です。稽古では、感覚を鎮め、お臍の奥(丹田)に祈りの衝動を集中する。

弓の道においても、弓を引くときに生命気を注意深く吸い込み、目、鼻を閉じて気息を保持した後(クンバカ)吐きながら矢を放つ。ヨガでいうプラーナヤーマ呼吸法です。カラリパヤットゥでも、動作と呼吸を一致させることが協調されています。

蹴るときに吐き、蹴り足を降り出すときに水、踏み出すときに保息(クンバカ)
前下痢が正しくなされ、足が手に触れるとき、呼吸も正しくなされる。口をとじ、手を持ち上げ、背筋をしっかり保てば、祈りの力(シャクティ)はおのずと顕現する、という考え方です。

武術におけるマントラには「呼吸」の意味があります。吸う、吐くの音をサンスクリット語では”ソー・ハム”といい「私は尊い存在である」を意味します。つまり、人間は呼吸をするたびに、生き物として最も根源的なマントラ(マントラとは意味を込めた言葉)を唱えていることになるわけです。
人の心と身体は呼吸とともに虚と実を繰り返している。息を吐いているときは充実し、吸っているときは空虚になる。武術の仕合は相手の呼吸の探り合いとなる。出す息は静かに長く、吸う息は極めて瞬間的に、が原則となる。のんびり息を吸い込んでいては、相手につけ込まれてしまうのだ。相手の隙をねらって攻撃するときは、強力な腹圧をかけ、瞬間的に息を吐く。
この呼吸に集中することが、体術の技を上げ、ただの武器を、超兵器に変える第一歩となるのです。

カラリパヤットゥで使われるオッタ(曲刀)を用いるオッタパヤットの動きや体重移動は、太極拳が一番類似している。直線でもなく、ものに逆らうでもなく、滞ることなく、滔々とたゆたう大河のごとく、玄妙に動く。もしかしたらこれが一番強い存在かもしれないと思うぐらいだ。

太極拳の「馬歩」空手の「騎馬立」日本古武術の「沈なる身の位」インド弓術の足構え「サマパータ」ハタヨガの体位法「ウトカティカー」これらはほとんど同一の姿勢を示しています。すなわち、足を開き、体重を両足に等しくかけ身を沈め、ちょうど馬に乗っている格好をします。太極拳で馬歩が貴重とされる理由は、深く呼吸に集中しながら長くこの姿勢を保持すると、下腹にいわゆる氣が生じるということ。腰と下肢の緊張が呼吸と混じり合い、サンスクリットでいうところの「途方もない力(ウトカティカー)」と化すわけです。太極拳では、この力を下腹に蓄え、吐く息と共に手足を通じて打ち出すことが秘訣とされています。カラリでも同様の原理を用いています。身を沈めた姿勢で攻防しあうことで、力みのない流れる河のような動作をすることで、祈りの衝動(シャクティ)を顕現させるトレーニングとなる。

ダヌルヴェーダでは武術の要諦をこのように説いています。
弓束を持つときは花を扱うごとく、つまり武器を執る手も素手のこぶしも柔らかく握るということ。硬く握ると筋肉に精妙な動きを妨げる力みが生じてしまう。
竜蛇を殺すように弓弦を引き絞るとは、下腹にクンダリニーを制御し力を蓄えるということ。
金を稼ぐごとく、的の一点を注視すべし。金を稼ぐとは、仕事を集中して行うことであり、インドでも「息を詰めて行う」という表現をする。息を詰めることによって、心も定まる。呼吸をコントロールすることで、的の一点を注視する。一点集中とは、外部の対象を凝視するだけではありません。外と内の両方になされる行為です。

以上、「ヴェールを脱いだインド武術(出帆新社/伊藤武著)」より一部抜粋ならびに引用

本コラムで、カラリパヤットゥについて全てを説明するのは難しいですが、メディカルヨガを学ぶ上で、ヨガ、アーユルヴェーダ、そしてマルマの知識、古代インド武術の背景を理解しておく必要性を感じ、ここにまとめてみました。マルマの知識をカラリのグルッカル並みに習得するのは無理としても、ヨガのポーズがマルマという概念のもとに成り立っているということは知っておく必要があると思います。残念ながらこれらの概念は、インド医学を理解するのには役立っても、西洋の科学者を説得するには論理性に欠けているかもしれません。しかし、試してみる前に科学的根拠を求めるならば、これらのボディワークの効果を知らずに人生を終えてしまうことになるかもしれません。

私が子どもたちに、習い事としてぜひカラリパヤットゥをお勧めしたいのは、成長期の子ども達にとって養うべき「強さ」について考えたからです。大人になって必要な強さと、子供のころに育むべき強さは共通点は多いものの、違うような気がしているのです。
残念ながら現代教育の体育の授業では、運動能力の評価が先行し、子ども達は「運動が得意な子」と「苦手な子」に分けられてしまいます。インドでは「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と今でも言われており、体を鍛える大切さがしっかり教えられているそうです。それはボールゲームなどの「スキル」や「テクニック」ではなく、もっと根源的な「人が、生涯、心身ともに健康に生きていくのに不可欠な」呼吸法であったり、姿勢であったり、身体のメンテナンスであったりします。
カラリパヤットゥにはこれらの要素がバランスよく含まれているように思うのです。姿勢、呼吸法、身のこなし、体への意識、集中力、自尊心、命の尊重、相手への思いやりなど。

私が息子をカラリパヤットゥに通わせて、最も印象に残った言葉は
先生が、子ども達5-6人を横一列に並ばせ、蹴りの練習をさせたとき「隣の子を見なくていい、だけど、隣の子の気配を感じ、できるだけ皆で動きをそろえるように」「なぜなら、その方が美しいから」
というものでした。現代はとかく空気を読む大切さが子ども達にも教えられる世の中ですが「KY」などという嘲笑するような言葉遣いではなく、こういう説得の仕方で子ども達に空気を読む大切さを教えた方が、理解の仕方も違うのではないかと思うのです。

カラリパヤットゥ

特に男の子だからかもしれませんが、子供はエネルギーの塊です。かといってヨガといっても、穏やかなヨガでなくパワーヨガやアシュタンガをできるかというとそこまで体も発達していない。ヨガで培う精神性や柔軟性だけでなく、相手と闘うときの呼吸のコツや、身のこなし、丹田への力の意識、などを小さい頃から適切に身につけていくこと。また武術における崇高なる存在への敬意や、仲間への思いやり、礼儀なども、身につけておいていいものだと思うのです。また、どんなスポーツをする上でも、関節の可動域を広げておくこと、バネのある体軸をつくること、呼吸のタイミングを計ること、重心を低くすることは大切です。男の子はどうしたって、喧嘩で相手に勝ちたいのです。理屈抜きに強くなりたいのです。本当の強さは負けないこと、ということを理解するのには時間がかかるかもしれませんが、日本古来の武術を始め、子ども達の心身の発達に役立つ習い事のひとつとしてカラリパヤットゥも選択肢にあっていいのではないかと思うのです。

大人になって健康管理のためにスポーツジムで汗を流すのも悪くはありません。でも、スポーツジムでは真の心と身体の健康については学べないと思います。健康とは全身の筋肉から消化管、循環器、免疫系に至るまで、体内のあらゆる機能がしっかり働いていること、気分が安定し、気持ちの切り替えが早く、精神的にも充たされた状態で日々を過ごせること、そのためにはヨガやカラリパヤットゥはとてもいい修身だと思います。

私自身がヨガをしていることもあり思うのですが、ヨガのいいところはヒンドゥー教徒でなくても楽しめることだと思います。インドの神様を信仰していなくても、自然への感謝の気持ちや、師や見えない存在、仲間や家族、自分自身の命への感謝の気持ちを持つことはできます。それは宗教とは関係ありません。気持ちを抱く機会に恵まれるかどうかだけだと思います。
キリスト教の幼稚園に入ったからといってキリスト教に入信する必要はなくとも、そこで学んだことはきっと子どもたちの生涯にわたって生き続けることでしょう。
同じように、子供のころからヨガや瞑想、カラリパヤットゥに親しむ機会を持たせてあげたい、私は特に子供のころに運動が上達する体作りができず、大人になるまで苦労したので、カラリパヤットゥのような、ヨガよりももう少し「動き」に焦点をあてた修身で、子供にはその基礎をつくってあげたいな、と思っているのです。そうすれば、その学びはやがて自分自身が自分のお医者さん、つまりセルフケアという能力を養うことにつながると思うのです。

私個人のことを言えば、子供のころからどんな運動をやってもうまくできず、大人になってからヨガとで会えたからヨガのよさがわかった、ヨガは運動ができない人にも可能性がある、ということを広めていきたいというのもありますが、ヨガを始めてから私はスキーやトライアスロンの楽しみがわかるようになりました。体の使い方、呼吸の仕方、自分との向き合い方を知ると、世界が広がることも確かです、ということを付け加えておきたいと思います。

日本の子どもたちにカラリパヤットゥを:自称 母の会 会長 岡部 朋子

【クラスのご案内】

私と息子の先生は、本文にもでてきましたが「解脱」を意味する「Moksha(モクシャ)」というアーユルヴェーダ・サロン主宰のサジン先生とラクシュミ・やすこ先生です。
クラスの情報はこちらになります。
東京クラス
http://moksha.exblog.jp/21208738/
葉山クラス
http://moksha.exblog.jp/15954725/

先生方は全国でカラリパヤットゥの普及に努められています。イベントやクラスの誘致については直接のお問い合わせをお願いいたします。

伊藤武先生のご著書はこちら


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