人は、自己防衛のために拒絶する。
それは普通のことだ。
娘に自分の大切にしているものを触られると、息子の免疫はビリビリしている。
「やーめーてっ!」「いやーっつ、もう!」
自分も、時々そういう言葉遣いをしているんだろうな、と反省しながらも、こういう提案をしてみた。
「やーめーてっ!」って言っているうちはずっと悲しいお気持ちだよ。
「どうしたの?どうしたのかな?何が欲しいの?何をしたいのかな?」
「これを触ってみたいんだね。これはお兄ちゃんの大事なものだから、代わりにこれを貸してあげるね」っていってみよう?
代わりのいいものがあると、ちゃんと落ち着く娘。
私たち大人の苦しみも同じような気がする。
もういやーっ!絶対これは許せない!ありえない!だめ!と思っているときは、気持ちがささくれてしまう。
ヨガとは、まずは自分に対し命令するのをやめ「どうしたのかな?自分」と声をかけてあげることなのかな、と思う。
「どうしたのかい、大丈夫かい?僕は君のことを心配しているよ。だって君は僕の宝物だから」そんなおとぎ話は私たちが子供の頃、私たちの心の中に確かに存在した。
ヨガとは命令し、強制し、なおそうとすることではない。
ヨガとは、案じ、包み込み、受け入れること。
助けてあげるのではなく、寄り添って(Serve)あげること。
自分に「どうしたのかな」と話しかける時間。
私もつとめて取ろうと思います。
まったく、子供達とのふれあいには毎日多くのことを教わります。