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依存そして甘え:自由になる強さを持つこと

長男(5歳)にはどうしても厳しくなってしまう。

自分の美学、つまりこうあってほしい、とこうあって欲しくない、をぶつけてしまうのだと思う。

とても遠回りしながら(つまり喧嘩)、あなたのことが誰よりも大切だから、そういうことをして欲しくない、ということを伝える毎日です。

その、ヨガ的には不必要な喧嘩(バイオレントコミュニケーション)を減らしたい、という気持ちが、無意識に私にこんな検索をさせました。

「5歳、息子、許せない、母、つらい」

その結果、出てきたキーワード。「依存」でした。

延々と、許せない気持ちを言葉にしたり、延々と攻めたててしまうのは、つまり「私はあなたをコントロールしたい」という気持ち。なぜに私の思うとおりにならない、という淋しさ。怒りという感情は淋しさを隠すための戦略だそうだ。私の思うようにならない猛烈な淋しさは怒りに形を変える。そもそも、相手は自分の思うようになる存在ではない、ということは「依存」関係では忘れられている。

【さみしいという感情】

寂しい、という感情は、私たちの生命の本質に根ざしているのではないだろうか。私たちはたった一人で生まれ、たった一人で死んでいく。宇宙の歴史から見ればほんのあっという間の一生でも、それぞれ職業を持ち、互いに関連し、助け合いながら生きている。たった一人で生まれてくるけど、私たちはこの地球上にたった一人の存在ではない。人と何かを分かち合いたく、感じ合いたく、心のよりどころを求めて、コミュニケーションをとったり、芸術を表現したりするのだろう。

 

【支配から自由になる】

ヨガをしながら学ぶこと、それは受け手も、与え側も「支配」から自由になること。どれだけ人間が、相手を支配しようという気持ちを持ってしまう危険性をはらんでいるか。

だからこそヨガは「支配してはいけない」(支配は暴力である:非暴力の教え:アヒンサー)を説いているのでしょう。

世界中で起こっている戦争や、夫婦喧嘩、親子喧嘩はほとんどすべて「支配せよ」という脳からのメッセージで起こっているような気がします。

ヨガが行っていることは、呼吸による自律神経の安定、そう説明することは簡単です。しかし、5000年続いてきたヨガの本質は、そんなものではないと思っています。

平和のためには、支配しようという気持ちを反省するあるいは手放さなくてはなりません。相手を支配はできないということに気づくべきなのです。

本当の愛は、支配や独占ではなく、尊重です。

平気でひどいことを言ってしまう時、私たちは相手を相手と思っていないのかもしれません。自分が支配している対象だからこそ、自分が納得いく対応をするまで、コンコンと攻め続ける。戦争というレベルから小言というレベルまで。

だけど、相手は一人格を有した人間です。納得いく対応をするわけありません。ましてや、北風と太陽の、北風的攻め方をすればなおさらです。

 

【心は心でしか動かない】

相手をコントロール(支配)できる方法が一つだけあるとすれば、それは太陽のように包み込んであげることではないでしょうか。子供達に人気のアンパンマンがお腹の空いた人に自分のほっぺたをちぎってあげるように、自らの痛みを伴っても、相手に思いやりを与えること。

私たちは他人だけでなく、自分のことすらコントロールしようとして、「ねばならぬ」というストレスを与えていることがあります。つまり、自分に愛を与えていないのです。自分に「こうありたまえ」と命令しています。

私たちは孤独だから、温もりを求める。だけど、他人や社会は私たちが期待するほど、ぬくもりを与えてくれないかもしれない。北風を吹き付けてこられたと感じることもあるかもしれない。そんなとき、私たちの自己防衛本能は私たちをあまのじゃくにさせる。例えば、さみしいのにさみしいと言えなかったり、理解して欲しいのに理解して欲しいと言えなかったり。

ヨガの教えは「自然に対しても、神様に対しても、他人に対しても、自分に対しても」素直になりなさい、ということだと思います。

ヨガという言葉の語源は、つなぐ、結ぶ、です。

あなたは素直ではないですよ、と言われることは、ある意味自分の今の姿を「抉り取られる」経験と思います。今の自分と向き合うことで、素直になることがどんなに難しいか、それに気づくプロセス、素直になりたいと思う気持ち、素直になって人と繋がりたいと思う気持ち、それら全てをヨガというのではないかと思います。

 

【人の意識を変容させるのが、最も困難で、かつ神聖な奇跡だ】

人類の歴史は、集合体で、支配する、に向かってきました。

しかし21世紀に入り、自然を支配しようという考えから、自然と付き合おう、相手を支配しようから、相手を理解しよう、相手の態度を変えさせよう、から自分の態度を変えることの大切さに気づき始めているような気がします。

ヨガの言葉に「サンスカーラ」というものがあります。無意識な心や行動のくせ、という意味です。私たちがいかに、人や社会、環境から影響を受けやすく、流されやすい存在か、ということです。私たちの神経には可塑性があり、反復によって神経回路は強化され、動かし難いものになっていきます。しかし、その可塑性は、逆に「気づき」を伴い別な反復を行うことで、迂回路が強化されるのです。

ヨガのメンタルトレーニングにおいて、最も重視されるのは「ありのままを認める」ということです。

ありのままの私たちを見つめれば、私たちはいかに外部に依存し、外部に期待し、問題の要因を外部に求めているか。だから、攻撃は自分ではなく相手に向かうのです。

問題を外に求めていることに気づき、相手に期待する前に、自分に期待せよ。相手に依存する前に、自分がしっかりせよ。その叱咤激励のために、ヨガの時間には「内観」が用意されています。街中にはハードなヨガから、息さえできるヨガが用意されています。

ヨガをすることで、ありのままを受け入れる気持ちを取り戻し、人に対しても自然に対しても、ありのままに感謝すること。自分の期待と異なっていたとしても、太陽のように包み込み、ありのままのあなたが大好きよ、と抱きしめること。優しい眼差しで見守ること。本当は子供はそんなところから伸びていくのだと思っています。

 

【ヨガがもたらす価値:内なる、そして外なる平和】

ヨガ、呼吸が自律神経云々、筋肉の緊張と弛緩、などという理屈やエビデンスを超え、支配、征服することではなく、理解と尊重、冷たさよりも温かさ、平和な文化を広める手段としてのヨガの理解がもっと広まることを願っています。そうなれば、ヨガは単なる健康手法や流行ではなく、全人類に必要な人間科学と普遍性に基づいていることが理解されていくことでしょう。

5歳の子供との向き合い方を通じた気づきから、話が平和という壮大な方向に流れてきてしまいましたが、平和は最も身近な人への実戦から、だと思っています。

実は私は、一番身近な親や主人に対しても、かなりの依存と甘えを持っていることにも今さらながら気がつきました。たくさんの反省と懺悔です。

娘に対してだけ、なぜか単純にありのままを受け入れられることが不思議です。おそらく同じ女性として、これから頑張って生きていくことを、素直に応援したい、見守りたいから、という気持ちだけだからかもしれません。愛情は上の子と変わりませんが、期待をするのではなく、ありのままを伸ばしていきたい、不思議とそう思えるのです。かたや主人や長男には「自分を守って欲しい」とか「主人としてこうあって欲しい」とか「息子として立派であって欲しい」とか、期待とリクエストの多いこと多いこと。

だけど、少し安心したのは、お母さん友達の多くが「第一子にはどうも厳しくなってしまう」と話してくださることです。第一子にかける愛情が空回りしてしまう、と。

 

【ストレスや疲れが平和を遠ざける】

お母さんたちの多くが言うのが「疲れているとつい」ということです。ヨガでリフレッシュしたいです、とおっしゃるぐらい、ストレスアウトし、疲れているのだと思います。支配からの解放、なんて難しいことを言わずに、リフレッシュや健康増進のためのヨガという活用の仕方もあることでしょう。

平和や健康のために、一人一人の生き方を輝かせる手段をヨガ、というと大袈裟ですが、今より少しストレスや疲れを減らすだけで、私たちは本来の強さや輝きを発揮できるのではないでしょうか。

家庭は最大のヨガ道場。

太陽のように包み込めるお母さんの力を取り戻せるよう、今日も深呼吸から始めていきたいと思います。

 


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