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やきもち炎上

4月から小学校というお正月、年末年始、航一の感情が爆発した。そのほとんどが、妹に対する「ずるい」という不満。
2歳の娘は可愛い盛りで、まだ美味しそうにおっぱいから離れない。しかし、私は息子かわいさから、妊娠中もおっぱい離れをさせられなかったゆえ、激しいおっぱい戦争が続いている。左右大きさが違うからか、どっちを飲むか、娘は片方を飲みながら片方をつかもうとするからさらに取り合いになる。私の鎖骨下は、引っ掻き傷だらけです。

主人からすれば、お兄ちゃんはもうおっぱいをやめなさい、ということになるが、私は正論で、半分こ、順番こ、とたしなめながら、二人にあげようとしてきた。しかし、結論から言うとそれが航一の本能にものすごいストレスをかけていたことに気がつき始めたのです。

欲しいものを我慢するというストレス、それは私にも記憶がよみがえります。上の子を出産後、何が一番自分を苦しめたかというと、主人は自由に仕事ができるのに、自分は時間が奪われ、自分の好きなことをするのにものすごい努力をしなくてはならなかったこと。子供といることは楽しいはずなのに、仕事というもう一つの楽しみをなぜ主人は奪われず、私は時間もお金も奪われるのか、その理不尽さと相手の理解のなさに、相手に対する恨みを募らせていきました。

ある日、口論になった時、主人が発した「俺のことが羨ましいんだろう?」の言葉に「そうよ!羨ましいのよ!」と答えた自分が、自分の幸せに目を向けず、男と同じように働こうとしていた自分を気づかせてくれました。

状況が変わらないことを承知で、私はやがて、仕事を減らしました。

だったら、収入減らしても、子供たちとの時間を思い切り楽しもう。主人が悔しくて、寂しくて、羨ましくなるぐらい、子供たちといっぱい思い出を作ろう。そういう生活を一年ほど続けました。

人はどうにかこうにか、そうやって自分を守るために、自分の中で折り合いをつけて過ごしていくのではないでしょうか。

息子も、お兄ちゃんなんだから娘に分けてあげなさい。いいお兄ちゃんでいなさい、という呪縛に、いいお兄ちゃんであることをしぶしぶ演じ続けていたのかもしれません。

しかし、私が時間を奪われることをものすごく理不尽に感じたように、自分がやりたいことや、欲しいものを妹に取られたり、妹と分け合わなくてはならないことは、とても辛かったのだと思います。

息子の感情に火をつけてしまったのは、私たちが妹をかばい、兄である航一に「優しくしなさい」「いじわるしないで」というようになってからです。

私は航一の気持ちを考える前に、母親として自分の子供が、欲をむきだしにした形相で「これは絶対紗瑛ちゃんにはあげないから」とおもちゃを抱え込んだり、「ママのことが大好きだから、紗瑛ちゃんにはあげないでね」といってお菓子をくれたりする行為が、自分の中で受け入れられませんでした。それは、こうあってほしくない、という息子の姿を見たくなかったのだと思います。

一方、上の子の時は余裕がなく楽しむことができなかった、2歳児ならではのやんちゃぶりを、2歳なんてこんなものだ、とむしろ目を細めて楽しみながら、毎日妹のことを可愛い可愛いと甘やかす私に対し、息子は「紗瑛ちゃんばっかり大事にして」「僕のことは大事じゃないんだね、僕のことは嫌いなんだね」という気持ちを募らせていったそうです。自分が怒られたり厳しくされたりしたことを、妹は大目に見られているのですから、無理もありません。

嫌いじゃないよ、大好きだよ、といくら言葉で言っても、いくら抱きしめても伝わりません。

その後、毎回同じパターンで「お母さんはいつも紗瑛ちゃんの味方、僕の敵だ!」というようになり、私が叱るとついに、私に手をあげるようになりました。

愛情かけて育ててきたはずの子供が、自分に手をあげる。自分の愛情が足りなかったのか、育て方を間違えたのか、どこでこうなってしまったのか、と悩みました。

私が、当時、喉から手が出るほど時間がほしかったように。自分のアイスクリームを息子に取られ、悔しいな、と思う自分のエゴが「私は愛情の足りない悪い母親だ」と自分を責めたように、自分の素直な気持ちが受け入れられず、自分や他人から「それはひどい」と責められたら、それは苦しいことでしょう。

妹に取られたくない、その気持ちを素直に出そうとすると「なんでそんな意地悪するんだ」と人間性を否定される。もともとの航一はとても優しい子です。だけど、まだわけのわからない2歳児に、いろんなものを奪われたり、引っかかれたりしながら日々を耐え、そのうえ「優しさが足りない」などと言われたら、確かに何もかも嫌になってしまうことでしょう。自暴自棄になってしまい、ものにあたり放題になってもおかしくありません。彼の口からいつも出ていた言葉は「誰も僕の気持ちなんてわかってくれない」でした。

私は、息子が娘をいじめたり、「紗瑛ちゃんが生まれてこなければ、僕はママを独り占めできたのに」と言ったりするたびに、「紗瑛ちゃんを産まなければよかったの?」と思ってしまったり、自分が産んだ可愛い我が子を否定されているような気持ちになってさみしくなりました。

わかっているよ、分かりたいよ、だけどそんな風にお母さんのことを叩いてきたら、分かりたい気持ちも消えてっちゃうよ、と泣きながら、だけど明日また朝起きたら、大好きだよと抱きしめてあげよう、となんとか凌ぎながら、叱っても状況が改善したり、息子が気持ちを改めることはまず100%ないことに気がつきました。

人の心を動かすのは、太陽だけです。相手を信じ、根気強く、信じることだけです。叱ることはまちがいなく逆効果です。しかし、その逆効果も、効果への反映になることもあるかもしれません。

かつて主人に「そんなに働きたいなら、子供預けて働けば」と言われたことがあります。安倍政権かよ!と思いました。箱物作ればいいという子育て政策。母親たちが欲しいのは、箱物じゃありません。困難な状況への理解です。

そんなに妹に邪魔されるのが嫌なら、妹がいないところで遊べば、寝ている間に遊べば、というのでは安倍政権と同じです。必要なのは、私はあなたを理解したい、という気持ちだということを思い出しました。

Judith先生は、リストラティブヨガの授業で何度も教えてくれました。自分は孤独だ、誰にも理解されていない、と思うときほど辛いことはない。でもその気持ちは自分で作っているの。そんなときに、より添ってくれる人が一人でもいて、あなたは一人じゃない、と温めてくれ、ガチガチになった体を緩めることができれば、人は自然と心の中にある自己肯定感を取り戻していける。現代における問題点は、SOSを出したときに、より添ってくれる人がいなくて壊れてしまう人や、自分を取り戻すのに、理屈から入ろうとしてしまうことね。心の問題は、体を人が本来持っていたカーブに戻してあげることなしには根本が解決しない、ということを。だから、まずは体を安心させてあげることがとても大切なんだ、ということを仕込まれました。

航一を安心させてあげたい。

罪を憎んで人を憎まず、ではありませんが、航一 = 意地悪、優しくない、では決してなく、なんらかの理由でそういう性格が発露してしまっているだけであり、それは本人にとっても辛かろう、ということを考えました。彼だってきっと優しいお兄ちゃんでいたいのです。

なので、どうして優しくできないの?という叱り方をやめました。できるだけお兄ちゃんに花を持たせ、満足を与え、ある程度のところで欲張りすぎないようにたしなめながら、ちゃんと妹にもあげるんだよ、と。

私が主人の気配り気づきが足りないと憤慨していたように、息子も自分に対する私の愛情表現が足りていないことを、うまく表現できないまま、晴らしていたのだと思います。

僕が一番大好きなのは、ママ。全部のことが、ママに喜んで欲しいからやっているの、なんて言ってくれるのも今だけだということをうっすら感じているだけに、ママもこうちゃんのことが大好きだよ、ということを伝えあい、抱きしめあえる幸せを毎日しっかり掴みたい、そう思います。息子を叱っている時が一番私も辛いのです。

「ママに怒られたくなかったら、怒られるようなことをしないようにしなさい!!」ではだめですね。
一人の人間として、いい関係を築けるように、理解したい、理解しよう、それは簡単なことではありません。母も、子供も、感情の生き物です。

だけど、その根底には、選ぶことなく親子になった絆を守りぬきたい、という思いがあることを信じたいと思います。

Love is not what you say. Love is what you do.

言葉だけで、愛している、というのはもうやめよう。愛しているから、ちゃんと説明して、息子が枯渇しないようにしっかり水をあげたいと思います。

ママは紗瑛ちゃんが可愛くて仕方ないけど、それ以上にお兄ちゃんのことが大好きで、紗瑛ちゃんだけの味方じゃないよ、とこれも口で言うだけでなく、肉まんの大きい方を分けてあげる方が、よっぽど説得力があるようです。
息子は、明らかに妹が生まれて、僕が二つ持っていたものを、一つ分けてあげている。そういう意識です。そう思って当然だったのです。お兄ちゃんなんだから、気前よく一つあげなさい!というのは、搾取、といえるのかもしれません。

息子を聖人君子であってほしい思うのはやめよう。私も聖人君子ではない。私ががっかりなところがたくさんあるのに比べたら、息子のがっかりは限りなく少ないのだから、いいところを褒めてどんどん伸ばしてあげたい。そう思います。

大切なのは、正しいことじゃない。いつも、忘れてしまいます。

いいところも悪いところも出て人間。だからこそ、人のいいところだけを見て暮らしましょう。いいところも悪いところも、受け入れ、それに愛情込めていい環境を用意して(ヨガで言えば、呼吸と姿勢を整える)あげること。それがヨガの教えなのでは、と思います。

不思議なことに、お兄ちゃんだから我慢しなさい、というのをやめてありのままの息子を抱き締められるようになって一番楽になったのは私でした。

ありのままを受け入れるという努力、私の子育てではまだまだ続きそうです。


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