ヨガの語源は、結ぶ(Unite)と言われています。
離れる、という恐怖から孤独への恐怖、そこから、攻撃、対立、が生まれます。
私たちは、母のお腹の中で不安を感じでしょうか。
そこは守られており、一体であり、温かかったはずです。
それが、母の胎内から外に出た途端、私たちは環境や温度の変化に晒され、一人になります。
ヨガセラピーの一つの側面に、バウンダリーワークのコントロールがあります。
世界を敵とみなしている状態からどうやって抜け出すか。
リストラティブヨガのように、しっかり体を守られた状態で、実際孤独であるという現実と向き合うことが、孤独への恐怖を癒すのです。
失敗した自分を、観察できること。認められること。許せること。自分のありのまま(つまり孤独であること)から目をそらさずに向き合えること。それがあって、孤独な私たちが手を取り合って暮らしている社会(Unite)が価値のあるものに感じられるでしょう。
しかし、ストレスや緊張状態が続き、交感神経が優位になっている時は、決して観察はできません。不安や恐怖から目をそらしながら、行うことは、自己防衛、攻撃、対立です。
自分を脅かすものに、冷静に対処できるかどうか。
過敏に反応するのか、攻撃を仕掛けるのか。
私たちが怒りや攻撃の感情を持っている時、私たちは優しくないのではなく、可愛い自分を守っているのです。
「優しくなれない」という歌が一時期流行りましたが、まさにそういう時代を私たちは生きているのではないでしょうか。
人を許せなかったり、責めたりするのは、優しさが足りないのではなく、自分を守るスイッチを文明に押され続けている世の中だからなのでしょう。