NHK 発達障害プロジェクトに関連する番組で、時々、次のような声を耳にします。
障害がない人がある人に合わせる方が簡単なのではないか。
マジョリティがマイノリティに生きづらさをうみ出してるのではないか。
ならばマジョリティの側がマイノリティの生きにくさを変えていく努力をしたほうが良いのではないか。
それを聞いて、こんなことを感じました。
【相手を変えたいというフラストレーション】
マジョリティにとって、相手(マイノリティ)を「理解できない、相手を変えたい、正したいと感じる気持ち」が、怒りを生み起こしているのではないか。
私がリストラティブヨガを通じて学んだNVC(ノンバイオレンとコミュニケーション)では、怒りは感情ではなく、孤独感や淋しさを、人に対してだけでなく、自分に対しても隠すための戦略、だと言います。
となると、相手を変えられなければ、寂しい、物足りない、不安、と感じても不思議ではありません。よくあることですが、私たちは自分は一切変わろうとせずに、相手を変えようとだけするのです。
【発達には時間がかかる】
私の息子も「なんで同じことを」ということをよくします。
「お母さんに何度同じことを言わせたらわかるの?」と私もよく、切れます。
しかし、しばらく念仏を唱えてから、教育というのは、教えて育てることだ。怒りっぱなしではいけない・・
「こうちゃん、これはね・・・」
そして、子供の脳の未発達を思い出せるように、時々この本を思い出します。
10代の脳 反抗期と思春期の子どもにどう対処するか
子供の多くが発達障害ではなく発達過程ではないか。
発達障害を疑い、親の側が不安になり、無理やり受診させているケースも少なくないと聞きます。
発達障害が問題になるのは、もちろん子供自身もその時点で生きにくさを感じるのは辛いはずですが、大人になってなお、社会での生きにくさがあることではないかと思います。
【発達しきることがあるのだろうか】
そう考えると、私もいい年をして大変大人気ないところがあり、子供たちから見たら、発達不全のお母さんかもしれない。女性から見たら、男性の家事遂行能力はまったくもって未発達?男性から見たら、感情をコントロールできない女性はなんと未発達なことでしょう。
お互い「なんでこんなこともできないの?💢」と感じているのでしょう。
私たち大人も、多かれ少なかれ、人それぞれ何かしらを抱えて、生きにくさを感じていると思います。
それを見守り、接することはそう簡単ではない。
他人であれば、距離を置けるでしょう。だけど家族となると、近すぎて、お互いが、お互いに足りないものを見出し続けているような気がします。近いだけによく見えすぎてしまうのです。ましてや、症状として発達障害と診断されたお子さんやご家族の不安や苦労は、私などが想像して言えるものではないと思います。
【Nobody is Perfect】
私がヨガと発達障害について考えること、それは、
ヨガの目指す平和の実現とは何はか、ということです。
思うようにならない相手に対し、
瞑想やマインドフルネスなどによって心を落ち着けることはまぎれもなくヨガの産物ですが、
誰が落ち着けるのか。それは見守る側やマジョリティではないか、と思うのです。
発達障害の子のためのヨガは、子供を変えたり改善したりするためのヨガではなく、周りを穏やかにして生きやすくするためのヨガではないかと思います。研究も、周りの大人たちの接し方が変わっていくことで、子供達がいかに生きやすくやすくなったと感じたかを測ってみてはどうか。
余談ですが、先日ラジオで、カナダのトロントでは赤ちゃんを授かると「Nobody is perfect」と書かれたノートをもらえると聴きました。完璧な人なんていない、完璧な子供も、完璧な母親もいないということを知っておくことで、どんなに楽になることでしょう。
【足りないままのあなたが好き、と思えるか】
ヨガをすることで、きっと起こる変化。
それは、お互いが、お互いに足りないものを見出し続ける関係から、お互いが足りないものは認め合い、補い合う関係へ。
そんな綺麗事のようにはいかないことでしょう。
だけど、愛する相手が存在しているだけで良い、まずはそこへの気づきと感謝をもたらすもの、それがヨガがもたらしてくれるもののように感じています。
そして、発達障害でも、愛されてればいいと思うのです。問題は病気になることによって、周囲の心が離れ(たように感じ)、その子が孤独を感じてしまうことじゃないかと思うのです。同じようにどんな病気でも愛されていることほど、しっかり長く効く薬はないと思います。しかし「愛」などというそんな漠然なものは、おそらく研究の対象にならないことでしょう。ならば「愛されてると感じる」というパラメーターを計測する方法論の確率が必要に感じます。
発達障害に限らず、病気は孤独を感じさせます。
だけどそこに、病気であっても、変わらず愛されてることを確信できるプロセスがあれば、病気への向き合い方も随分変わってくるのではないかと思います。
【Remember you are loved いつも愛されていることを忘れないで】
発達障害を切り口に取り上げましたが、子供たちを育むにあたり、私たち周囲の大人の側がヨガをすることで「子供たちが生きやすさを感じれられる」ことを目指せるのではないか、と思いました。
大人やマジョリティのほうに「見守り、受け入れる力」が欠けている社会で、子供達が彷徨っているということへの気づき、それもまた、相手ではなく己に目を向けることからしか得られないように思います。
どんな大人もヨガで気持ちを落ち着けて、どんなあなたでもありのままを愛している、そう伝えられたら。
我が家の下の子はイヤイヤ期真っ盛り。
お約束のように「やってはダメよ」ということをしっかり遂行します。
お兄ちゃんも泣かされてばっかり。
最近子供たちに怒ってばっかりの自分への戒めを込めて、これを書きました。
子供たちにヨガをさせていい子にさせるんじゃなく、あんなことも、こんなことも、一緒に笑って嬉しかったよ、と受け止められる、そんなお母さんになりたいです。
(追記)尊敬する医療ジャーナリストの方が、このような記事を書かれていましたので、ご紹介します。
http://healthcare-biz.jp/2017/07/その不注意、adhd脳が原因かも?-職場の困った人た/