シリコンバレーで仕事をしながら、スタンフォードのスタンダードが、日本にどんどん導入されていくのが面白い、と思って見ていました。働き方、自己啓発、企業、資金調達、もし自分に第二の人生があったら、バリバリ脳みそ全開でこんなところで勉強できたら、と思ったこともありましたが、実は憧れはサンフランシスコの北に位置するバークレー校。木漏れ日の中で、ベビーカーを押しながら、学びを楽しんでいる家族の姿が忘れられません。
しかしながら、最近、私がアメリカで学んだヨガの中枢とも言える「セルフ・コンパッション」が、アメリカのエリートの間でこのように取り上げられていることに、驚きました。
なぜスタンフォードでは「リーダーは自分を思いやれ」と教えるのか
スタンフォード大学経営大学院 リア・ワイス博士に聞く(2)
佐藤智恵:作家/コンサルタント
日本におけるセルフコンパッションの解釈についてはこのような文献があります。
http://self-compassion.org/wp-content/uploads/publications/SCS_Japanse_version.pdf#search=%27セルフコンパッション%27
(私の参謀であり、協会のメンバーでもある看護師の松原さん、ありがとうございます)
マインドフルネス、EQ、に続き、自らへの慈悲の実践。
マインドフルネスを実践すれば、良いことがありそうなことは、わかってきています。
「マインドフルネスを構成しているのは、『目的+集中+心構え』の3要素だ」と述べています。つまり(1)意図と目的を明確にする(2)目標へと意識を集中させる(3)「あるがままに」「好奇心を持って」など、適切な心構えで臨む。
(サンタクララ大学のシャウナ・シャピロ教授)
しかし、どんなに理屈で通ることも、本質を変えることができないのは、
私たちいのちの本質が「愛されたい」ことに根付いている
からではないかと思うのです。
魂から愛してくれる人がいるのは幸せです。
でも、それすらも自分の認識によるものです。
「この人は私のことを心から愛してくれている」ということを、どうやって証明するのでしょう。
信じるしかありません、
ディズニーも「愛することは簡単だ。信じることは難しい」と言っています。
私は子供たちを寝かせる時に、主に寝静まってからですが、いつもつぶやくことがあります。
「愛されているってどうやって知るの?」
大好きな、大好きなと思いながら、人生最大の矛盾を子供達にぶつけます。
もしかして、子供たちはいつか、私たちに愛されていたことすら、忘れてしまうかもしれない、と思っています。
記憶に残るのは、私が愛していたという事実だけでしょう。
それだって、私がもし記憶を失ったら、消え失せることかもしれません。
それでも、今この時に「私はあなたを大好きで、あなたたちが今日も私の腕の中で眠ってくれたことにありがとう」と思うのです。そんな生活をしながら、子育てと家事以外は、自分が代表理事を務める協会の運営で気持ちも体力もせいいっぱいです。
マインドフルネスとヨガは、生活の中で実践してきましたが、拭いきれない何かがここ数年ありました。
それは、守るべき命を必死で守り抜こうと生活した「産後2年半」のサイクルでもあったのかもしれません。
長男が2歳半になるまで、長女が2歳半になるまで、とにかく危うい子供達をとにかく守るのが私の使命です。服を買ったり、お風呂にゆっくり入ったり、そんなことより最優先は、子供達の安全確保。それだけです。しかもそれは、おそらくうちだけではないと思いますが、ほぼワンオペレーションとなります。
ヨガをやっていてよかった、と思うのは、自分のことを足りないと思いながら、いつも「足りなくても、いるだけで母親なんだ」「あなたがいて、私は嬉しいということを、叱った後でもいつも伝えよう」と思えたことです。
だけど、私は今、リーダーです。
私がヨガを通じて伝えていける、一緒のチームのみんなへのメッセージは、人を支えようとする(つまり、ヨガセラピスト)こそ、自分をしっかり支える意味で、まずセルフコンパッションから始めなくてはならない、ということです。
(上記記事より一部引用)「様々な研究結果によれば、セルフコンパッションを実践すると、周りの人からのフィードバックを否定的なものも含めて素直に聞き入れる、他人の失敗を受け入れる、ともに問題を解決していこうとする、といったことを自然にできるようになるそうです。セルフコンパッションは意志力を弱めるのではなく、逆に強化するのです。」
私は、ヨガセラピストを育成する協会の代表として、このことをいち早く徹底していきたいと思っています。
思えば、これまでの私はクラスではセルフコンパッションと唱えながら、自分のことは後回しだったかもしれません。
私は先日挑戦したトライアスロンで、実は完走者の中で最下位(681位)でした。
ヨガの先生でなかったら、もしかして恥ずかしさで走れなかったのかもしれません。
悪い意味で、開き直って、ボランティアの皆様の声援に感謝しながら、ゴールを目指しました。
自分の実力はこれぐらいなのだということを痛感しながらも、ただ一人のために走りました。
最愛の息子の誕生日のために、お母さんは諦めずにゴールすると約束したのです。
炎天下の中、息子は信じて待っていてくれたそうです。必ずお母さんは、ゴールテープのところに来ると。
家族は、自分にとっては自分です。(本当は違いますが)
しかし、極限状態において、家族や、そして協会を支えてくださる皆さんが、私であるような錯覚(なのか、本当にそうなのか)
ヤシの木一本一本に〇〇さん、いつもありがとう!と念じながら、到達し、ごめんねといって歩き、また次のヤシの木に向かって走り、最後に待っていてくれたのは、同じ距離を私より2時間半早くゴールしたガッツポーズの主人でした。
セルフコンパッションから話が逸れましたが、ヨガを通じて苦しみの中にいる方が得るものがセルフコンパッションであることをよく聞きます。そこから、いろんなことが好転していく、そのことをどうやってヨガと臨床で証明していったらいいのか、ということを考えています。
トライアスロンへの挑戦は、もしかしたら、思えば久しぶりに作った自分の時間だったのかもしれません。
(実際、仕事も、掃除も、洗濯も、ご飯作りもしないで、自転車漕いでられるなんて、なんて贅沢なんだ、と思いました)
自分をしっかり思いやり、向き合う勇気を持つと、今は臨床で証明できない明らかな「変化」が生まれます。
それを、スピリチュアルという言葉を超えて、普及させていくために、セルフコンパッションを土台としたヨガセラピーの認知、実践を可能とする社会のシステムデザインに取り組んでいきたいと思っています。