「お母さんが誰かを頼り、休める社会」
先日、日本小児科医会会長の松平隆光先生に、21世紀の小児医療について、また成育基本法について貴重なお話を伺う機会に恵まれました。
私も2歳と7歳の母親であり、先生がお話しされた日本の子育ての現状は人ごとではありませんでした。妊婦の産後の死因の原因の大半は、産後うつによる自殺だといわれています。また、うつ病までと言わずとも、不安や体調不良から半数近い人が離婚を考えた瞬間があるという調査結果もあります。
松平先生のお話の中で、フィンランドのネウボラおばさんのご紹介がありました。そのようなサポートがある国の事例を知り、これから子供達を育てていく母親たちに産後の母親として、そしてマタニティヨガを教える立場として、伝えたいことがぼんやりと具現化してきました。
私自身が感じるのは、日本人が「休むこと」についてとても罪悪感を持っているのではないか、ということです。子供の頃から頑張れ、正確であれ、と目標達成を求められてきました。このままではいけない、自分はまだまだだ、そのような気持ちが、日本という国の高い倫理観、技術力を高めてきたことは否定できません。しかし、その一方で、堂々と休むことや、自分を許すこと、とりわけ失敗した時にありのままの自分を受け入れることに慣れていないように思います。
ヨガ教室に通ってくる不妊治療をしている女性の多くが、治療を辞める際「先生、私、やっと子供ができない自分を許すことができそうです。今まで、自分を許せませんでした。」と言います。そして、肩の荷を降ろされています。
緩和ケア病棟の看護師さんたちから「患者さんのケアに活かしたいのでヨガを教えて欲しい」とおっしゃっていただき講習会を行ったときも、口々に出た言葉は「患者さんの前に、まず自分にやってあげたい」というものでした。みなさん、いつも自分のことは後回しだからこそ、本音のところではとても疲れている自分を認めることが普段はできないのでは、と思いました。
同様に、母親たちは真面目に一生懸命だからこそ、頑張り続けて燃え尽きてしまうのではないでしょうか。
でも、母親たちには実質的な休日はおろか、心の休日もありません。
仮に、休んでいいよ、と家族に声をかけてもらったとしても、休む心の準備ができていないのです。
でも、家族にとって、社会にとってはどうでしょうか。完璧な母親を目指し、目を釣り上げていられるより、しっかり休んで家族に笑顔を向ける母親が増えて欲しいのではないでしょうか。母親が自ら休息をとったり、母親が自分を大切にする気持ちを取り戻せる時間の使い方をできるようになる具体的な場が必要に思います。
自分を休ませられない原因は、母親自身にもあると思います。「休んでしまうような母親は、母親失格だ」という先入観に縛られています。
しかし、社会全体で、そして身近なところでネウボラおばさんが「子育ての先は長いんだから、ちょっと羽を休めなさい。」「疲れたって弱音吐いていいのよ」とサポートしてくれたら、どれだけ気が楽になることでしょう。そして「私も大変だったからわかるわ」と、少しの間でも赤ちゃんのお世話をしてくれる存在がいたら。
子供を育て、産み育てやすい社会の土台になるのは、元気なお母さんではないかと思います。
私自身も時々子供達を預ける「子育て世代包括支援センター」がこの成育基本法の中で推進されてきたことを知りました。頼れる存在があることのありがたさを、あらためて感じました。
お母さんやご夫婦が、誰かを頼り、休め、リセットし、充電できる、そんな環境に日本の社会が向かっていることを知り、成育基本法が成立し、機能して欲しい、と切に願います。