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謙虚さと信仰:旅というヨガ

中国は超大国で、世界中に中華料理を普及させ、大都市では超高層ビルの中で金融が動いています。何を隠そう、私もかつて香港と上海を拠点とする投資銀行(東京支店)で、インターンとして先端技術投資を追いかけていました。

だけど個人的には、日本の美しさや、ベトナムやタイの存在に美しさを覚えるのはどうしてなのかを考えてみました。中国には中国の魅力があり、日本やベトナムには各国の魅力があること、ただそれだけであることは承知の上でです。

子育てをしながら思うのは、子供達に「謙虚でいなさい」としつけてしまうことです。頭の片隅に、人を押しのけるぐらいのエネルギーで闘いなさい、という親心が芽生えることもあります。これからの国際社会はもしかしたら、そういう力が不可欠なのかもしれません。

だけど一方で、IQよりEQ、つまり知能指数より、幸せやQOLにつながる感情指数が見直されていること。
以前、ブータンに旅をした時、そこで暮らす人々が「僕たちには、ヨガはいらない。幸せだから。王様が僕たちのことを大切に思いながら政治をしてくれていて、みんな仲良く暮らしているし、何よりブータンの食べ物は美味しいんだよ。」と言っていました。その一方で、一見社会の成功者と思われている人たちが、次々と精神の病を患っていく。

そんな人たちも、もしかして何かに触れることで、人間らしさを取り戻していくのではないでしょうか。

中国との国境を境に存在するもの。それは、謙虚さと信仰ではないかと思いました。
人を押しのけて自己主張する強さはないかもしれない。だけど、お互いを慮り、自らが一歩引く、あるいは傘を傾け合う文化。神様へ花を手向け、お線香をたく東南アジアの毎朝の風景。

昔の中国、あるいは中国の地方にはまだこのような儒教思想や信仰が残っているように思います。私たちがなかなか足を運ぶことができず、また情報発信もされないため、どうしても中国の都市部のイメージを先入観として植え付けられてしまう。昔、親友と北京に行った時に、切符売り場で人々の群れにどーんと跳ね除けられ、我先の文化にショックを受けたのを覚えています。

どんなに国が発展し、経済が発展しようとも、結局国の価値を作るのは、そこの国で暮らす国民の品性なのではないか、と思い、されとてそんな偉そうなことを言える親ではないにもかかわらず、子供達には何を知って欲しいかといえば「人を思いやる気持ち、神様を敬う気持ちの美しさ」ではないか、と思うのです。そして、ヨガが大都市から人気を博しているのは、エクササイズとしての実感ではなく、己を見つめ、謙虚になり、現実を受け入れ、今生きていられる奇跡に感謝できる、そんな根源的なところ(ルネッサンス:人間性の回復)を得られるところにあるのではないか、と思います。

運動したければ、他にもたくさん選択肢はあります。だけど、ヨガをしている人たちに共通する心地よさが、そのような価値観の共有にあるような気がしています。
結婚式でよく読まれるコリント人の手紙。愛は、、、偉ぶらない。
美しい価値の根っこは同じ – 謙虚さと感謝(信仰)であるように思うのです。
それを失った時、人は何か違和感を感じるのではないか、違和感を感じる文化に育っていることのありがたさ、もあるね、ということを、帰路主人と話しました。
いつも仲良く、平和でいたいけど、ついつい自分のことが優先になってしまうのがどんな人も。あるいは、自分のことを後回しにして人のためばかりとやっていたって、やっぱりどこかで堪忍袋の尾が切れます。

謙虚であることや、感謝すること、祈ることの大切さを、いつも思い出すのは難しいけれど、
旅をすることで、全く別の角度や文化から教えてもらえることがある、
だから、異文化社会への旅は楽しいのかもしれません。

遠くに行けないことがほとんどで、生活の中のヨガを通じて思うこと。
ヨガとは不完全な自分、不完全な状況をありのままを許すこと、受け入れることではないか。
もし修練があるとすれば、不完全な自分から逃げず、受け入れ、慈しむ(セルフコンパッション)練習をすることではないか。
皆、それができないから、自分を大切にしてほしいと声なき声をあげながら、人を傷つける。

ヨガのポーズは、一つのケーススタディです。
どんな簡単なポーズでも良いから、自分の今の姿、今ある感覚を優しく観察しながら、生きている証しである呼吸を、自分に送り込んで見て欲しいのです。やってみればおそらくわかりますが、大して難しいことではなく、難しいのは「やってみよう」と思うことと「またやってみよう」と思うことです。

そして、その鍵を握るのは、決して急かさないこと
「ゆっくり丁寧に」という姿勢は、決して「迅速」という価値観を覆すものではありません。むしろ、お互いがそれを理解することで、私たちは処理能力を高めるために生まれてきたわけではないことを思い出したいものです。

我が家の子供たちが一番最初に覚える外国語は「ありがとう」「どういたしまして」
(中国語では、シェイシェイ、とプクチー、でした)
私たちは、処理能力を高めるために生まれてきたわけではないのに、いつの間にか、処理能力が高くなるよう教育され、自分に厳しくなり、人に厳しくなります。
ヨガのポーズを、私の恩師は Action and Reflection と教えてくれました。
「ありがとう」と言って「どういたしまして」という。そこに生命の美しさがあると。
AIにそれを言わせて、何が生まれるのでしょうか。

自分が存在している奇跡に目を向けて見てください。
その奇跡を感じられるようになると、家族と一緒に居られる奇跡も感じられるようになります。共に働く仲間との縁も、邂逅です。

主人と旅をするのが楽しくて、結婚しました。
いつの間にか、旅をもっと楽しくしてくれる子供たちに恵まれました。
家庭生活における負荷の大きさに自分のキャパシティが堪えられず、時に喧嘩もしますが、
最近主人も「名もなき家事(NHK あさイチで放映」の存在に気づいてくれたようで、報われます。
あと何回、家族で旅行ができるかわかりませんが、旅行先でも子供たちを抱きしめてて幸せを実感しているからには、どこに居ても生きている価値は同じような気がします。そんな中、夫婦で、時々忘れてしまう、とても大切なことを思い出させてくれるのが、旅。だから、無理をしてでも、自分たちのできる範囲で^^;(茨城空港から直行は本当に楽でした)これからも、冒険に出かけようと思います。

旅を通じて、今を見つめ直し、今に感謝する。
上海への夏休み旅行から得た気づきです。

医師の先生より、ヨガと太極拳の違いをしっかり説明できるようになりなさい、との課題をずっといただいており、それならば、やってみるしかない、と朝6時に家族とともに公園へ。

ちょっと、もじもじしながら、観察し、最後は少し真似て見ました。
人が見ていないと、結構ポーズを取れるのに・・・

息子が撮ってくれた、夫婦で上海の超高層ビルを見上げている写真。
123階?!ほどあるそうです。一体誰が、何のために??


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