子供たちと過ごしていて思う。
人が一番、言われて嬉しい言葉は「ありがとう」なのではないか。
「ありがとう」と言ってほしくていきているわけではないけれども
どこかで「ありがとう」がさみしいことに気がつくと
そのさみしさはイライラや怒りに変わって誰かに届くような気がする。
最近、自分を含め、いろんな状況を観察していて気づいたのは
「ありがとう」を言えないときに限って、人の不完全さを指摘し、文句を言い、理解しようともせず、正論に酔う。
誰かの大変さや、見えない苦労はすぐに見えなくなるものだと思う。
だから、星の王子様は言うのだ。本当に大切なものは目に見えないんだよ、と。
息子が「お兄ちゃんって大変なんだよ」とこぼす。
そのお兄ちゃんとしての大変さは、理屈で説明できないのだと思う。
お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい、というのは簡単だ。
なぜヨガをしているのか。
お兄ちゃんなんだから、という母親の小言の合間に
その小さな心の目線まで腰を落として
僕の小さな心の痛みを、わかりきれないにしても
わかろうとしてあげられることができているとき
ご飯を作ったり、掃除をしたりして、役割を果たそうとしていること以上に
私は家族であるような気がするのだ。
みんな、自分のことでいっぱいいっぱいな世の中だからこそ
心と体を意図的にでも緩めて(なぜなら、緩めなければ、自分のことで精一杯で当然だから)
一番大切な人と繋がりたい。
綺麗事を言えば、世界のみんなと繋がれればいいけれど
優先順位はある
それすらも、お互い様だと思えば気が楽なのではないかな。
人が、人らしくいれるように
人間らしさが良いことであるように、
ヨガがあるのだと思う。