毎年6月、私は米国で行われるInternational Association of Yoga Therapists のシンポジウムに足を運びます。そこで、世界のヨガセラピー仲間と情報交換をするのですが、今年のカンファレンスで、忘れられない言葉を聞きました。
それは「すごく落ち込んだの、MD(医師)に、ものすごいGuilty Words を言われたの」ということでした。その詳細までは根掘り葉掘り聞かなかったものの、何と無く想像がつくな、と自分の中では直感しました。私たちがアメリカで接しているのは当然のことですが、ヨガに理解のあるメディカルドクターの方々や研究者(ヨガリサーチャー)です。ハーバードメディカルスクールや、NIH(国立衛生研究所)のフェロー達はヨガに対してとてもポジティブな意見を言ってくれます。もちろん、有害事象の把握と対策こそが大切です、とことわりながらですが。
しかし、ヨガを全面に押し出していきすぎると、やはり医療の現場の方々からの抵抗や拒絶を受けるだろうことは、ヨガセラピーの普及に取り組んできた過程でとてもよくわかります。しかしながら、私は、そしてヨガメディカル協会は、少なからぬ医療者の方々や、時に製薬会社の方々からご理解をいただき、活動を続けています。小さな組織ですが、組織運営のイロハもわからないところから、なんとかHPやパンフレットなども整いつつ、人材の育成、ヨガセラピストという新しい職業の確立に取り組んでおります。
私たちが重要と考えていることの一つに、ヨガありきで現場に乗り込んで行かない、ということがあります。
ヨガのメリットは、ポーズ x 呼吸、ポーズ x リラックス、リラックスだけでも良いし、呼吸だけでも良く、笑うだけでも良い、という柔軟性にあります。体が柔らかくないとヨガはできないんでしょ、と言われますが、体ではなくて心を柔らかくする練習がヨガだと思っています。きっとどんな人も人生にはいろんなことがありますから、心が硬くなることは多かれ少なかれあることでしょう。
私たちの仕事は、体を柔らかくすることではなく、心を安らげることです。
協会を応援してくれる方々のご縁で、私などが普段お会いできないような方のご講演の勉強会に参加させていただくことがあります。医療界とジャーナリズムの大御所の方々が集う会でお聞きするお話は、毎回大変勉強になります。
米国のメリーランド州はNCCIH という、国立補完代替医療センターがあり、メリーランド大学ではついにヨガセラピーの修士号の制度が整いました。私たちヨガメディカル協会は、このNCCIHとヨガリサーチの歩みをともにしながらヨガセラピストの高い倫理をメンバーに浸透し活動するIAYT(国際ヨガセラピスト協会)の足並みを追いかけながら、医療や介護の現場で必要とされるヨガセラピストの育成を目指し活動しています。
その協会の存在を知っていただきたく、僭越と思いながらも自身の紹介ではなく「ヨガセラピーの概念の紹介を」と思いご挨拶に伺います。
今回のコラムのイシューは、先日私も受け取ったギルティワードを、ヨガセラピーに関わっていきたいと思っている方に、知っておいていただきたい、ということです。
その先生にはおそらく初対面の私に悪意はもちろんなく、本心からのお言葉だったと思います。日本のみならず世界のたくさんの方々の命を救われた先生はNIHで研究をされてきた大変著名な先生です。
おっしゃったのは「ヨガってこういうのでしょう?(ヘンテコなポーズ)」ここまでは、ヨガの紹介あるあるです。そして「ヨガではウイルス性疾患は治せないからね、あなたの分野でグッドラック!」
誤解なきよう、その先生はご挨拶の列の最後で待っていた私に、とても優しくあなたで最後だね、と本当に優しい態度で接してくださいました。
それなのに、私がギルティと感じてしまったのは、理解してもらえなかった寂しさを瞬間に感じたからだと思います。
命あってこその愛ですが、もし多剤投与によってというのであれば、ヨガセラピーの普及によって、複数の薬剤の投与とともに、愛や、タッチ、キス、良い香りや、深呼吸も投与すれば、生存率 + QOLも上がるのではないかと思います。
ヨガの起源は、祈りです。運動と思われていますが、祈りを伴った運動であるがゆえに、誤解を受けやすいです。哲学や実在論と生命科学の融合なので、余計に理解に苦しむかもしれませんが、医療の現場でまだまだ一番議論が避けられているのが、スピリチュアルペインといわれていることも、臨床の勉強会で教えていただきました。
これからもヨガセラピーの普及に取り組む過程で、私と同じようなことを言われる方も少なくないと思います。
しかし、まだまだライフサイエンス(生命科学)の一つとして理解してもらえる状況ではないというGuilty Wordの背景を理解し、それに柔軟に対処し、必要な人にヨガセラピーを届ける強い思いを持ったセラピストを育てていくことが私たちの仕事ではないかと思います。