先日、仕事が終わって帰ってきたら、
翌日、肉体的なのか精神的なのか、どっと疲労感が襲ってきて、
さらに、些細なことでものすごく悲しい気持ちになり、
感情的になって、嗚咽してしまいました。
仕事の緊張とストレスが溜まっていたのかな、とも思いましたが
明らかに悲観的になっている自分に驚きました。
認めて欲しい自分、今までの自分は間違っていたのかと思ってしまう自分、これから先もダメなんじゃないか、という気持ちがごちゃ混ぜになり、
自分には価値がないのではないか、と感じてしまいました。
久しぶりの東京・築地での打ち合わせで訪れたお店で見つけた「これから」というお茶を家族へのお土産に買って意気揚々と帰ってきたのに、気分の落ち込みはそのお茶とは全くうらはらという皮肉です。
私が大学進学し、一人暮らしを始めた時、母も更年期で苦しんでいました。父が支えていましたが、あの時の母も同じ気持ちだったのに、私はわかってあげられなかったと遅まきながら申し訳なく思います。
私は恵まれています。
子供の前で泣いて恥ずかしいと思いますが、小さな子供たちが背中をトントンと叩いてくれますし、主人も母も、朋子が元気ないと、困るよ、と言ってくれます。元気がない時に、元気を出しなさい、と言われるのが一番しんどいのですが、それでも私を気遣って言ってくれている気持ちはわかります。
いよいよ、ホルモンの変化が始まっているのかもしれませんが、
体の不調は少し胸が締め付けられるような時がちらほらあるだけで、それほどありません。
水泳や自転車、ランニングやヨガなどの運動をすると、スッキリします。
それは本当にそのようで、心の落ち込みに振り回されようと思えば、いくらでも振り回されてしまうのが更年期なのだと、改めて恐ろしく思いました。やれることをやらない、という選択肢を選びたくなり、悪循環になるのではないか、と客観的に思えたのは、まだ症状が悪化していないからだと思います。だからこそ、やれることはやって、うまく付き合う方法を自分で見出さなくてはならないとも感じました。
主人に話すのも、やはり勇気がいりました。なぜこんなに不安なのだろうと考えました。
私の主人は私より11歳年下です。
間も無く、結婚10周年を迎えるにもかかわらず、こんなにも早く女性だと思われなくなってしまうのではないのだろうか、という不安がありました。それでも、話さないでいてもずっとモヤモヤした感じだろう、と思い、「もしかして、私、いよいよね・・」という話を切り出しました。
主人が言ってくれた言葉。
「更年期、一緒に乗り切ろう。朋子はヨガの先生だから、きっと大丈夫だよ。」
私はそれだけで、更年期も女性に必要なものなのかもしれないという気持ちになりました。
今までの自分を良くも悪くも振り返り、断捨離をし、後半戦に臨んでいく時期なのかもしれません。
孤独だ、と思うからどん底な気持ちになるのだと思いますが、少なくとも理解し、励ましてくれる人がいる、ということはこれからどんな辛い症状がやってくるのかもしれませんが、薬と同じぐらい強力な薬になるのだと感じています。
ヒーヒー言いながら、主人とトライアスロンの練習を続けているうちに、更年期がいつの間にかすぎ、元気な老後につながっていることを祈りたいと思います。