テレビでも「ケアラー」という言葉が使われ、ケアする人、という概念への関心が高まってきました。
一般社団法人日本ヨガメディカル 協会では活動の柱の一つを「ケアする人のケアとしてのヨガの普及」においています。
当事者の声として
「解決策ではなく理解が欲しい」というものがありました。
ケアが続く限り、辛さや負担は変わらないのかもしれません。
しかしそこに足りていないのは「理解してもらえている」という気持ちであり、時間、空間的ゆとりではないかと思います。私自身は、指導者養成の際、ヨガの先生の仕事は、その場にある時間と空間にスペースをつくること、という説明を試みます。空間とは、その人の中にある小さな空間も含めてです。
- 手首を回して、そこに小さな風を通す。
- 膝を曲げ伸ばしして、止まっていた(と感じる)ものを巡らせる。
ケアにあたっているうちに、苦しくなってくるのは、時間も空間も、もう少しゆとりが欲しいという心の声であり、その声に応えるにはどうしたら良いのか、一人一人ではどうしようもないけれど、理解してくれる人がいること、リフレッシュまたはレスパイト (息抜き)する機会の創出が組織レベル、社会レベルで必要になってくるのではないかと思うのです。
(参考)NHK ハートネットTV ▽もしかしてケアラー?介護や世話で疲れていませんか(前編)