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シェイクスピアにみるヨガとの共鳴

ハムレットの有名なセリフ「トゥ・ビー or ノット・トゥ・ビー」
この言葉は、シェイクスピアの悲劇世界を象徴しているという。悲劇世界の主人公は、何かひとつの目標を目指して突き進もうとし、その一点にすべてを賭ける。余裕のない厳しい世界、それが「あれか、これか」の悲劇の世界なのである。

これに対してシェイクスピアの喜劇の世界は「トゥ・ビー AND ノット・トゥ・ビー」の世界だ。「あれでもあり、これでもある」という矛盾した世界。女性は男装し、人は愛する人を憎み、いけないことを楽しむ。矛盾が矛盾のままに混在する雑多な世界。それが喜劇の世界だ。

そもそも人間は矛盾するところが面白いとシェイクスピアは考えていたようだ。
機械と違って理屈や理論通りに行かないのが人間だ。例えば恋に落ちるなどというのは最も反理性的な行為だが、そういう「おめでたさ」がなければ喜劇の祝祭制は生まれない。

その人間観は、当時の思想である「人文主義」(ユマニズム)に依拠している。人間はそもそも愚かしい存在なのであり、人は己の愚かさを自覚しなくてはならない。

「人は誰もが愚者であり、己の愚かさを知るものこそ真の賢者だ」とはソクラテスの「無知の知」だ。逆に「自分は愚かではない、自分こそ正しい」と思い込んで譲らないと、争いとなり、最悪の場合戦争という悲劇が起こる。シェイクスピアはそうした悲劇も描く一方で、喜劇によって人間の愚かさを寿ぐことも忘れない。

「オクシロモン」- 正しさはひとつではない 「恋は甘くて辛いもの」「きれいは汚い、汚いはきれい」などの撞着語法。物事は見方によって違って見える。正しいと思うことでも視点を変えてみれば間違っているかもしれない。物事の本質は外見だけではわからない。心の目で見て問い直すべきだ、シェイクスピア作品は時を超えて訴えているようだ。

以上、河合祥一郎氏の「縒り合わせのシェイクスピア作品」より引用

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西洋のシェイクスピアの思想の中に、ヨガの授業でよく引用する禅の言葉「マインドフルネス」(善悪の判断を一切加えず、今ある状況を静かに観察すること)や、インド哲学やサンスクリット語の文法の礎にある「二元論(ドゥアリティー)」と共通点が多いことに驚く。

そして、最近介護の世界でも注目されている「ユマニチュード」(これは確かにフランス発だが)という考え方にも、シェイクスピアの時代が流れていることに驚く。(ユマニチュードに関するメディカルヨガコラムはこちら

ヨガの教えも、人は不完全だという前提に立っている。不完全だから、助け合わなければいけないし、バランスをとらなくてはいけないし、命を大切にしなくてはいけない。むしろ、不完全だから愛しいはずなのだ。不完全だから、悟りを目指していく。悟ることが大切なのではなく、自分はまだ悟れていない、ということを知っていたほうがきっといい。

悟らなくても、楽しく、優しく、感謝して、儚い人生を愉快に生きていけたらやっぱりそれは幸せなのではないか、と思う。


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