メディカルヨガコラム
メディカルヨガHOME > コラムトップ > ヨガはやさしいリハビリ > 父のためのメディカルヨガ:腫瘍手術その後

コラム記事カテゴリー

症例別ヨガの処方箋

ヨガ×スポーツ

ヨガが役立つ未来

ヨガの素敵なお話

ヨガはやさしいリハビリ

リストラティブヨガ

オンライン講座 好きな時に学べるヨガセラピー

メディカルヨガ公式サイト

ヨガはやさしいリハビリ

父のためのメディカルヨガ:腫瘍手術その後

4月21日、ロータスエイトさんでのワークショップ終了日にそのまま新幹線に飛び乗り盛岡に帰りました。

IMG_0922

父は口の中にできたおできをとるために4月1日に手術をしました。一週間ぐらいで退院できるはずが、2週間経ってもお医者さんから病理検査のお話がありませんでした。不安がよぎる中も、母はいつも通り盛岡から私の仕事のサポート(息子の子守り)のため上京してきてくれました。

ちょうど主人の仕事が休みになり、スタジオまでバイクで迎えにきてくれた日、バイクを駐車場に戻し自宅に帰ろうとしたころ、母から電話がありました。父から連絡があり、あまりよくないらしい、ということ。帰ってきてから話すね、とのことでした。

IMG_0920

最悪のシナリオを覚悟しましたが、救いはあるものです。悪性腫瘍の中でも低悪性のMALTリンパ腫でした。とても珍しい病気とのことです。
話を聞いてからも、泣きませんでした。私が泣いたら母はもっと悲しくなってしまうと思ったからです。でもそうやって気を張っていたせいでしょうか。こともあろうに、翌日私の声がでなくなってしまいました。あと一日ワークショップがあるのに、ピンチです。喉にはコミュニケーションを司るチャクラがあると考えられていますが、自分に悲しいと思わせないようにした(自分とのコミュニケーションを閉ざした)私に神様が声を奪ってしまったのでしょうか。養成講座にご参加くださったみなさまには、本当にお聞き苦しい声でご迷惑をおかけしました。

ヨガでは、願うこと、希望することを「Iccha」といいます。
また、Sharanam という言葉があります。これは「委ねる」「明け渡す」こと (休息地、避難場所)、大きな存在に、流れに身を任せるという言葉があります。

父に希望を持ち続けてほしいと共に、神様が父を守ってくれますようにと思います。そのためにもじたばたしてはいけないのでしょう。石割桜はまだつぼみでした。父のいない家族写真、早くまた一緒に写真が撮れますように。

IMG_0931

悪性腫瘍だと告げられたときは、ハワイに連れて行くのは無理だと思いました。でも、父が手術前に、アロハシャツを買い、パスポートをとってくれたその気持ちだけでも十分だと思いました。

それなのに、母が盛岡に戻ってから、再度父から電話がありました。
ハワイに行くよ。
進行が早いがんではないから、お医者さんと治療の相談をして、旅行も行けるそうだとのこと。
スクワット頑張ろうかな、とも言っていました。
仕事が終わるやいなや、新幹線で盛岡に帰り父の入院する病室へ。
思ったより全然元気そうな父に安心し、なんと翌日には退院できるとのこと。
息子はじいじ、じいじと手を引いて病棟を歩き、父も嬉しそう。
病院でおしぼりを手渡されると、なんだか昔のキャバレーを思い出して変な気分になっちゃうんだよ、と冗談も飛び出します。
主人が東京土産にかってきてくれたアップルパイをみんなで美味しい美味しいといただきました。
さっそく自宅のトイレと玄関に「スクワット続けていけば再び健脚」と大きく書いて貼ってきました。

ハワイに行けることになったのはあくまで父の病状が落ち着いていたおかげですが、きてくれるという気持ちになってもらうまで説得には長い時間がかかりました。娘40にして父のために走るよ、という企画、立案から、父をマッサージ屋さんに送り込み、自宅でできるセルフコンディショニング(サンドバック呼吸や、足首回し)を日課にする。それでも病気は表れるのです。でも、数年前体調が悪くなったときの父より、今の父の方がよっぽどはつらつとしています。

ヨガの授業でよく、人にはスペースとサポートが必要だ、という話をします。上からガミガミこれをやりなさい、あれをやりなさい、ではやりたくなくなってしまうでしょう。風通しを良くしながら、その人が今必要としている支えを提供していけたら、と思っています。今の父なら何ができるだろう、ということを考えるようにしました。父とは離れて暮らしており、適度な距離感があるからできたことかもしれません。恥ずかしながら、自分の息子とはしょっちゅう真っ正面衝突です。スペースどころか、親の立場と都合でごり押しです(ごめんね・・・)。

ヨガでは変化のことをParinamaと言います。これからも、両親や家族をめぐる状況は変化していくことでしょう。変化によってもたらされる苦しみはあります。でもお釈迦様は、変化による苦しみは実際はとるに足らないものだ、とおっしゃいました。波に逆らうのではなく、うまくゆられていけばいいのかなと思います。

変化していかない人生はありませんが、生きている限り、私たちは幸せホルモンを分泌できる機能があります。
アドレナリン(イェーイという気持ち)
ドーパミン(夢中になる気持ち)
セロトニン(ぐっすり眠り、リフレッシュできる幸せ)
オキシトシン(人に深切にしてあげる、スキンシップ)など。

健康でもこれらが出ていない人は毎日がつまらないかもしれません。病気であっても私たちの体はよくできていて、ちゃんとこれらがでる力が残っています。それらを奪わないこと、出す力を応援することが、補完代替医療の視点として大切なのかなーと思いました。ヨガは体を無理なく気持ちよく動かし呼吸を深めていく過程でこれらのホルモンが出やすくする要素をたくさん含んでいますが、私の父の場合は退院するや否やさっそく競馬に復帰です。朝から競馬新聞とにらめっこ。走る馬に大興奮。幸せホルモンの出し方も、人それぞれですね。

ヨガが教えてくれること、それは私たちの幸せの薬は誰かが私たちの外から投薬してくれるものではなく、実はしっかり私たちの体の中にそろっているのだ。ということのような気がします。ヨガではこれら幸せホルモンが出て気分が良くなることを「アムリタ(不老不死の薬)」と呼びました。その薬箱の在処を探し、ふたを開けるのがヨガという「自分を見つめ慈しむ」行為なのだと思います。

2泊3日の盛岡へのとんぼ返りにいっしょにきてくれた主人と息子に感謝です。

というわけで、あと一週間でハワイに向けて出発です。

【追記】

本コラムを読んでくださった、とあるヨガの先生が幸せホルモンについてもっとわかりやすい説明を送ってくださいました。下記ご参照いただければと思います。
http://medical-yoga.luna-works.com/column/archives/234


ページのトップ